| 大村の史跡説明板・案内板シリーズ | 玖島崎古墳群 |
<用語解説> ・古墳とは---「古代、土を高く盛り上げてつくった有力者の墓。現在では、墳丘をもつ墓は弥生時代にさかのぼることが判明したため、前方後円墳出現以降のものを古墳とよぶ。平面形により、円墳・方墳・前方後円墳・前方後方墳・双方中円墳・上円下方墳などとよび分ける。」(デジタル大辞泉より)
そこから西側=玖島キャンプ場への自然道(小道)を150m 位歩くと、なだらかな丘が林の中にあり、キャンプ用の炊事場が見えてきます。その近くに玖島崎古墳群と、その史跡説明板があります。(写真1を参照)
< 玖島崎古墳群 この玖島崎には、古墳時代期(約千四百年前)の群集墳があり、十一基確認されています。この古墳群が造られた当時、玖島崎は現在のように陸続きではなく、小さな島であったと考えられ、島の中に造られた古墳群でした。 残念ながら現在ではほとんどが破壊されており、石室の石材が所々地面に残っています。 これらの古墳には現在天井石が確認されず、もともとなかったものか、後世に取り除かれた可能性が考えられます。 現在も比較的良く形を留めている0号墳は、内部がむき出しになっており、玄室内が三つに区切られていることや羨道があることなどの特徴を見ることが出来ます。 この特徴は、0号墳のみ確認できるもので、この古墳群の首長層の墳墓と考えられます。 昭和三十九年の故鏡山九州大学名誉教授らによる調査と、平成四年の大村市教育委員会の調査から、鉄製武器や装飾品類のほか、土師器・須恵器等多くの副葬品が見つかり、6世紀後半から7世紀の古墳群と位置づけられました。島の中に造られた古墳群であることから、海に深く関わった人々の墓と考えられます。墳群のほかにも大村湾岸に同じような島の古墳がいくつか知られています。 現在確認されているうちでは、大村地方で最後に造られた古墳の一つ考えられており、この0号墳は「玖島崎古墳」として市指定史跡となっています。 平成十ねん三月 大村市教育委員会 > 補足 (この原稿は準備中。しばらく。お待ちください 初回掲載日:2025年11月4日、2次掲載日:11月11日、3次掲載日:11月27日、4次掲載日: 月 日、5次掲載日: 月 日、 |
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