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大村の史跡説明板・案内板シリーズ 玖島崎古墳群

(史跡案内門柱・説明板)玖島崎古墳群(くしまざき こふんぐん)
 名称:玖島崎古墳群  様式:説明板、案内標柱
 場所:大村市玖島1丁目  設置者:大村市教育委員会
 標柱設置年:1998(平成10)年3月  GPS実測値:32度53分40.54秒 129度57分02.59秒
 説明版全体の大きさ:高さ182cm、横幅103cm  (国土地理院)地図検索用ページ地図は、ここからご覧下さい
 説明版本体の大きさ:高さ70cm、横幅90cm  グーグルアース用数値:32°53'40.54"N,129°57'02.58"E
'(写真1) 玖島崎古墳群 <大村市指定史跡、中央部の白板は史跡説明板、左側は史跡標柱、奥側は大村湾>(大村市玖島一丁目)

用語解説> ・古墳とは---「古代、土を高く盛り上げてつくった有力者の墓。現在では、墳丘をもつ墓は弥生時代にさかのぼることが判明したため、前方後円墳出現以降のものを古墳とよぶ。平面形により、円墳・方墳・前方後円墳・前方後方墳・双方中円墳・上円下方墳などとよび分ける。」(デジタル大辞泉より)

史跡説明板写真周辺の説明
 この玖島崎古墳群へ国道34号線から向かうならば、大村公園の南北2ヶ所の市道から両方とも西側(大村湾、ボートレース大村の方向)へ行きます。そして、その競艇場(駐車場)の南側に龍神島があります。その島に渡る橋の前に、5台ほど止めらる駐車場があります。

(写真2) 写真中央部の後方側(西側)に玖島崎古墳群はある
<一部を除き周囲の海岸は自然のまま>(写真右端側から登って行く)

 そこから西側=玖島キャンプ場への自然道(小道)を150m 位歩くと、なだらかな丘が林の中にあり、キャンプ用の炊事場が見えてきます。その近くに玖島崎古墳と、その史跡説明板があります。(写真1を参照)

 この史跡説明板の近くに大村湾、北西方向には、盗人島(ぬすっとじま)などもあります。あと、ここは陸続きで来れますが玖島崎は、その名称通り元々は島でした。なお、現在、大村市内の海岸線は、コンクリート堤防が多いですが、この玖島崎盗人島龍神島の周辺は、一部を除き太古の昔からある自然の海岸が見られます。(写真2を参照)

史跡説明板の内容
 (写真1)の中央部に写っているのが玖島崎古墳群の史跡説明板です。その本体部を大きく写したのが、(写真3)です。史跡説明板の内容は、下記<>内の青文字が書いてあります。 ただし、ホームページのレイアウト上から見やすくするために改行などを変えている場合があります。

 また、上野の転記ミスなどもありますので、あくまでも下記の文章は、参考程度に閲覧願います。もしも、引用・参照されるならば、必ず実物の説明板からお願いします。
 
(写真3) 玖島崎古墳群の史跡説明板

< 玖島崎古墳群
 この玖島崎には、古墳時代期(約千四百年前)の群集墳があり、十一基確認されています。この古墳群が造られた当時、玖島崎は現在のように陸続きではなく、小さな島であったと考えられ、島の中に造られた古墳群でした。

 残念ながら現在ではほとんどが破壊されており、石室の石材が所々地面に残っています。 これらの古墳には現在天井石が確認されず、もともとなかったものか、後世に取り除かれた可能性が考えられます。

 現在も比較的良く形を留めている0号墳は、内部がむき出しになっており、玄室内が三つに区切られていることや羨道があることなどの特徴を見ることが出来ます。 この特徴は、0号墳のみ確認できるもので、この古墳群の首長層の墳墓と考えられます。

 昭和三十九年の故鏡山九州大学名誉教授らによる調査と、平成四年の大村市教育委員会の調査から、鉄製武器や装飾品類のほか、土師器・須恵器等多くの副葬品が見つかり、6世紀後半から7世紀の古墳群と位置づけられました。島の中に造られた古墳群であることから、海に深く関わった人々の墓と考えられます。墳群のほかにも大村湾岸に同じような島の古墳がいくつか知られています。

 現在確認されているうちでは、大村地方で最後に造られた古墳の一つ考えられており、この0号墳は「玖島崎古墳」として市指定史跡となっています。

  平成十ねん三月   大村市教育委員会 >


補足

 (この原稿は準備中。しばらく。お待ちください



初回掲載日:2025年11月4日、2次掲載日:11月11日、3次掲載日:11月27日、4次掲載日: 月 日、5次掲載日: 月 日、

 

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