大村の史跡説明板・案内板シリーズ | 松原八幡神社 (まつばら はちまん じんじゃ) |
史跡説明板写真周辺の説明
また、松原地区(旧・松原村)の中心といえる存在です。近くには、大村市松原出張所(松原地区住民センター)、松原郵便局、少しだけ距離はありますが松原小学校、JR松原駅、松原しおさい公園などもあります。この神社と河岸の間で南北を貫く道路は、古代肥前国時代から、さらには江戸時代に発達した長崎街道、旧•国道を経て現在の国道34号線が北東方向に移った後からは、市道になったとか様々な変遷を経ながらも主要道でもありました。 なお、(写真4)をご覧の通り、原文は縦書きですが、ホームページ用に横書きに直しています。また、原文は、そのまま生かしたいのですが、ホームページの制約上や表現上から見やすくするため、改行や送り仮名などは、一部変えている場合もあります。 < 松原八幡神社 松原村の総鎮守で、『博多日記』の正慶二年(一二三三)に登場することから、鎌倉時代の末は既にあったと考えられます。一説には鎌倉時代に、伊東家が下向した際に、鎌倉の石清水八幡宮の分霊を祀ったのが始まりといわれています。 天正二年(一五七四)にキリシタンにより破壊されますが、江戸時代に再興されました。 中岳の合戦に敗れた領主大村純伊が、八月十五日に領地回復の祈願をした伝承から、毎年、八月十五日に例祭を行っていましたが、明治以降は、十一月十五日に行われてきました。この例祭は「松原くんち」として有名で、今でも十一月の中旬に行われています。」 令和ニ年三月三十一日 松原宿活性化協議会 > 注:既に掲載中の各史跡説明板(もくじ)で、その内容中に例えば江戸時代に編纂された(大村)郷村記などの記述や、近代、現代でも難しい用語があれば、その解説も含めて書いている場合もあります。 しかし、今回は(写真4)や上記の横書き内容でも、お分かりの通り、大変分かりやすい文章なので、補注その他は今回書いていません。 補足 (この原稿は準備中。しばらく、お待ちください) ・関係ページ: (初回掲載日:2021年4月22日、第2次掲載日:4月26日、第3次掲載日:4月30日、第4次掲載日: 月 日、第6次掲載日: 月 日) |
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