(史跡説明板)長岡左近純生の墓 (注1)
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注1:史跡説明板や既存の書籍類に振り仮名は書いていないが、普通なら「ながおか さこん すみお」と読むのではないか? |
名称:長岡左近純生 |
様式:説明板 |
場所:大村市松原本町 |
設置者:松原地区活性化協議会 |
設置年:2020年3月21日(令和2年3月31日) |
GPS実測値:32度58分27.66秒 129度56分37.80秒 |
全体の大きさ:高さ150cm、横幅70cm |
国土地理院の地図、 (国土地理院)地図検索用ページ |
本体の大きさ:高さ60cm、横幅70cm |
グーグルアース用数値:32°58'27.68"N,129°56'37.80"E
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(写真1) 右側の白板が長岡左近純生の墓の史跡説明板、左側の大きい自然石が長岡左近純生の墓 |
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(写真2) 中央の自然石が長岡左近純生の墓碑 |
史跡説明板写真周辺の説明
長岡左近純生の墓の史跡説明板が設置されている場所へ行くには、北からならば松原郵便局から市道(旧・長崎街道)を南南西側(大村市立松原小学校)へ向けて進みますと、約50mです。逆に、南にある松原小学校からならば先と同じ道路を北北西(松原郵便局)へ100m弱行った市道脇です。
あと、(写真1、2)でも、お分かりの通り、この墓地がある周囲は、住宅地です。何故ここに墓碑があるのかは、下記の史跡説明板の内容に「この墓一帯に屋敷」があったとの主旨が書いてあります。しかし、詳細は、不明のようです。この長岡左近純生は、後の項目でもお分かりの通り、戦国時代に活躍した武士です。ですから、今となっては、ここに墓碑があるのかまでは分からないのでしょう。
なお、この墓碑は、「享保年間(1716〜1736)に、子孫が純生の功をたたえて建立した」となっていますので、後世のものです。あと、墓碑の裏面に彼の功績や子孫の建立のことなどが、びっしり碑文として彫られています。
あと、、(写真2)の通り、見映えのする自然石の大きさや形、さらには表裏面碑文の彫り具合といい、この当時のものとしては、キッチリ造られていると思われます。特に、裏面の彼の功績などは、ほぼそのまま江戸時代の(大村)郷村記作成時の参考になったのではないかと推測されます。また、そのことと、ほぼ同内容が史跡説明板にも書いてあるようです。
史跡説明板の内容
このページ(写真1)の右側に白く写っています長岡左近純生の墓の史跡説明板には、下記< >内の青色文章が書いてあります。先の説明板を拡大したのが、右側の(写真3)です。なお、(写真3)をご覧の通り、原文は縦書きですが、ホームページ用に横書きに直しています。また、原文は、そのまま生かしたいのですが、ホームページの制約上や表現上から見やすくするため、改行や送り仮名などは、一部変えている場合もあります。
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(写真3) 松原本町、長岡左近純生の墓の史跡説明板(本体部) |
< 長岡左近純生の墓
松原本町の中央、松原郵便局の南手に一群の石塔が建っています。この中で一m余りの自然石に「長岡院義忠純生日勇」裏面に事績を刻んだ塔があります。これが長岡左近の墓です。(墓誌名は郷村記(松原村)にある。)
長岡家も戦国の常として苦難の道を歩きました。左近の曾祖父長岡純重は、文明六年(一四七四)の中岳合戦で大村純伊を助け子息四人一族・従臣七六人と共に討ち死にしました。この時、末子千代之助(純生の祖父純胤)は母と共に佐賀県小城の千葉氏を頼り、小城で成長しました。
大村純伊が帰国した後、大村家の家臣にもどり、父の純胤の代には大村純忠に仕えました。永禄六年(一五六三)純忠のキリスト教入信により、大村に内乱がおこり、武雄の後藤貴明がこれに乗じて野岳に攻め込みました。この時、千綿の地侍寺井近江は後藤勢に付いて千綿の小峰城で兵を挙げました。
大村純忠は長岡重胤・純生に追い討ちを命じました。父重胤は戦死しますが、純生はこれにめげず奮戦し、大将寺井近江を討ち取りました。時に十八歳、その名は近隣にとどろきました。
その後、数々の戦闘で武功をたて、この墓一帯に屋敷を賜り、寛永十八年(一六四一)九十六歳で亡くなりました。この碑は享保年間(一七一六〜一七三六)に、子孫が純生の功をたたえて建立したものです。
令和ニ年三月三十一日
松原宿活性化協議会 >
注:既に掲載中の各史跡説明板(もくじ)で、その内容中に例えば江戸時代に編纂された(大村)郷村記などの記述や、近代、現代でも難しい用語があれば、その解説も含めて書いている場合もあります。しかし、今回は(写真3)や上記の横書き内容でも、お分かりの通り、大変分かりやすい文章なので、補注その他は今回書いていません。
補足
(この原稿は準備中。しばらく、お待ちください)
・関係ページ:
(初回掲載日:2021年4月12日、第2次掲載日:4月16日、第3次掲載日:4月20日、第4次掲載日: 月 日、第6次掲載日: 月 日)
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