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大村の史跡説明板・案内板シリーズ 籠立場跡・藩境(かごたてばあと・はんざかい)

(史跡説明板)籠立場跡・藩境(かごたてばあと・はんさかい)
 名称:籠立場跡・藩境  様式:説明板
 場所:大村市 中里町(なかざとまち) 鈴田峠  設置者:住みよい町づくリ「チーム鈴田」
 設置年:2017年3月31日(平成29年3月31日)  GPS実測値:32度52分32.43秒 130度00分37.34秒
 全体の大きさ:高さ150cm、横幅70cm  (国土地理院)地図検索用ページ
 本体の大きさ:高さ60cm、横幅70cm  グーグルアース用数値:32°52'32.43"N,130°00'37.34"E
 (写真A):鈴田峠、右側は籠立場跡(かごたてばあと)と史跡説明板、左側:旧・長崎街道
(写真1):左端は旧長崎街道の標柱、中央部:街道 (写真2):中央部は籠立場跡(左側の石垣は高さ約2m)
(写真3):藩境石(鬼の足形石)(左側が大村領、右側が諫早領) (写真4):中央は旧・長崎街道(鈴田峠)
(写真5):中央は藩境石、大村藩の丸塚 (写真6):中央は三角塚(最大規模の藩境石)

史跡説明板写真周辺の説明
 この史跡説明板の名称は、籠立場跡・藩境
(かごたてばあと・はんざかい)です。その名の通り、この説明板は、鈴田峠、旧・長崎街道の籠立場跡に立っています。しかし、説明板内容(次の項目で全文は紹介)は、それだけでなく、藩境にある史跡の紹介もしてあります。そのため、このページ掲載中写真でも関係した史跡が多いです。この項目では、各写真下部の説明文にプラスする形で書いていきます。

 

(写真7):左側は籠立場跡、右側は史跡説明板

* (写真A)、(写真2)、(写真7)写真3枚とも鈴田峠の平坦な旧・長崎街道の中間部にある籠立場跡(かごたてばあと)を撮った写真です。この広さは、目測ながら縦横とも5m前後あります。(後で計測予定) そして、ここが山の斜面になっているため、その敷地(平地)を確保するために、斜面下側から自然石で石垣がつかれています。高さは、場所によってマチマチですが、高い所は2m前後あります。

 この場所は、江戸時代、籠に乗った旅人は一旦、籠から降りて、休憩した所です。現在は、森林になっているため周囲の木々しか見えませんが、木が繁っていない時代は、多良山系の山並みも見えていたそうです。なお、 (写真7)と、 (写真A)右端側に白い板のように見えていますのが、史跡説明板です。

 *(写真1)と(写真4)大村市側(北西側)から鈴田峠の坂を登りきると平坦になっている旧・長崎街道です。太古から自然そのままの道で、まるで柔らかい絨毯
(じゅうたん)の上を歩いているような錯覚になります。

 

(写真8):藩境石(右側に大きな窪みがあるので「鬼の足形石」とか「硯石」とも呼ばれてきた)

*(写真3)と(写真8)2枚の写真とも中央部に写っているのが旧・大村領(現・大村市)と、旧・諫早領(現・諫早市)の境にある藩境石(はんざかいいし)です。大きさは、目測ながら高さ約115cm、横幅約280cm、胴囲約6m80cmあります。

 また、道から見れば、この石の左手前側に目測で長さ約60cm、幅約25cm、高さ約40cmの窪み(溝)があります。その形状のため、この石を「鬼の足形石(おにのあしがたいし)」「硯石(すずりいし)」とも呼ばれてきました。この石の左奥側方向へ小道を行きますと、風観岳(ふうかんだけ)山頂方向になります。

 *(写真5)と(写真6)大村領と諫早領の境、つまり鈴田峠や風観岳周辺には、沢山の藩境石(石塚)が現存しています。大村側は丸塚、諫早側は角塚です。その藩境石の中でも(写真6)に写っています三角塚は最大です。

史跡説明板の内容
 このページ(写真1)と(写真7)の右側に白く写っています籠立場跡・藩境史跡説明板には、下記< >内の青色文章が書いてあります。その説明板を拡大したのが、右側の(写真9)です。

(写真9) 籠立場跡・藩境史跡説明板(本体のみ)

 なお、(写真9)をご覧の通り、原文は縦書きですが、ホームページ用に横書きに直しています。また、原文は、そのまま生かしたいのですが、ホームページの制約上や表現上から見やすくするため、改行や送り仮名などは、一部変えている場合もあります。

  < 籠立場(かごたてば)跡・藩境
 この籠立湯は縦約四メートル、横五メートル、高さ約一〜ニメートルの石垣が積み上げられ、長崎街道を通行する大名がここで籠を降り、休憩した場所です。ここからの遠望は東に多良岳・五家原岳を、北に郡岳を望め、旅の疲れを癒せる休憩所です。

 ここから更に、南の方に足をのばすこと一六〇メートルで、今も大村市と諌早市の境になっている蓬境に至ります。そこには、鬼の足形石といわれる大きな石があります。また藩境には、境目を示すための積み石(大村藩は丸塚、佐賀藩は角塚)が点々と残っています。

 平成二十九年三月三十一日  住みよい町づくリ「チーム鈴田」 >


 注:上記及び右側(写真9)の史跡説明板は、2017年3月31日付けで設置されたものである>

補足


  (この原稿は準備中。しばらく、お待ちください)


(初回掲載日:2018年2月10日、第2次掲載日:2月22日、第3次掲載日:2月28日、第4次掲載日:3月1日、第5次掲載日:3月2日、第6次掲載日:3月9日、第7次掲載日: 月 日)


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