大村の史跡説明板・案内板シリーズ | 籠立場跡・藩境(かごたてばあと・はんざかい) |
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史跡説明板写真周辺の説明 この史跡説明板の名称は、籠立場跡・藩境(かごたてばあと・はんざかい)です。その名の通り、この説明板は、鈴田峠、旧・長崎街道の籠立場跡に立っています。しかし、説明板内容(次の項目で全文は紹介)は、それだけでなく、藩境にある史跡の紹介もしてあります。そのため、このページ掲載中写真でも関係した史跡が多いです。この項目では、各写真下部の説明文にプラスする形で書いていきます。
この場所は、江戸時代、籠に乗った旅人は一旦、籠から降りて、休憩した所です。現在は、森林になっているため周囲の木々しか見えませんが、木が繁っていない時代は、多良山系の山並みも見えていたそうです。なお、 (写真7)と、 (写真A)右端側に白い板のように見えていますのが、史跡説明板です。 *(写真1)と(写真4):大村市側(北西側)から鈴田峠の坂を登りきると平坦になっている旧・長崎街道です。太古から自然そのままの道で、まるで柔らかい絨毯(じゅうたん)の上を歩いているような錯覚になります。
また、道から見れば、この石の左手前側に目測で長さ約60cm、幅約25cm、高さ約40cmの窪み(溝)があります。その形状のため、この石を「鬼の足形石(おにのあしがたいし)」「硯石(すずりいし)」とも呼ばれてきました。この石の左奥側方向へ小道を行きますと、風観岳(ふうかんだけ)山頂方向になります。 *(写真5)と(写真6):大村領と諫早領の境、つまり鈴田峠や風観岳周辺には、沢山の藩境石(石塚)が現存しています。大村側は丸塚、諫早側は角塚です。その藩境石の中でも(写真6)に写っています三角塚は最大です。 史跡説明板の内容
< 籠立場(かごたてば)跡・藩境 この籠立湯は縦約四メートル、横五メートル、高さ約一〜ニメートルの石垣が積み上げられ、長崎街道を通行する大名がここで籠を降り、休憩した場所です。ここからの遠望は東に多良岳・五家原岳を、北に郡岳を望め、旅の疲れを癒せる休憩所です。 ここから更に、南の方に足をのばすこと一六〇メートルで、今も大村市と諌早市の境になっている蓬境に至ります。そこには、鬼の足形石といわれる大きな石があります。また藩境には、境目を示すための積み石(大村藩は丸塚、佐賀藩は角塚)が点々と残っています。 平成二十九年三月三十一日 住みよい町づくリ「チーム鈴田」 > <注:上記及び右側(写真9)の史跡説明板は、2017年3月31日付けで設置されたものである> 補足 (この原稿は準備中。しばらく、お待ちください) (初回掲載日:2018年2月10日、第2次掲載日:2月22日、第3次掲載日:2月28日、第4次掲載日:3月1日、第5次掲載日:3月2日、第6次掲載日:3月9日、第7次掲載日: 月 日) |
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