史跡説明板の内容
最上記の(写真1)下部右側に白く写っています案内板3基の内、中央(右側から2番目)の大神宮神社の史跡説明板には、下記< >内の青色文章が書いてあります。その説明板を拡大したのが、(写真4)です。
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(写真4) (鈴田)大神宮神社の史跡説明板(本体のみ)
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なお、(写真4)をご覧の通り、原文は縦書きですが、ホームページ用に横書きに直しています。また、原文は、そのまま生かしたいのですが、ホームページの制約上や表現上から見やすくするため、改行や送り仮名などは、一部変えている場合もあります。
< 大神宮(だいじんぐう)神社
この社地には、江戸時代まで「古松権現(こまつごんげん)」と呼ばれる神社がありました。建てられた時期は不明ですが、天正二年(一五七四)キリシタンの社寺焼き討ちに遭い、その後、寛永一三年(一六三六)薄主大村純信によって再建されました。江戸時代を通じて、この古松権現の日常の社務は、そのすぐ下にあった修験道(しゅげんどう)の坊・大乗院の山伏によって行われていました。
明治三年、大村藩による神社改正が行われた際、岸高の伊勢山に祭られていた大神宮が、この古松権現の社に移され、一緒に祭られることになりました。同時に神社名も「大神宮神社」に変わりました。
岸高の伊勢山にあった大神宮は歴史も古く、江戸時代初期の天和(てんな)年間(一六八一〜一六八四)には、すでにその地に鎮座していました。祭神は天照大御神(天地の万物を照らす大神)という女性の神様で、農業全般にご利益(りやく)があるほか、縁結びの神様としても知られています。
平成二十九年三月三十一日 柱みよい町づくり「チーム鈴田」 >
補足
(この原稿は準備中。しばらく、お待ちください)
(初回掲載日:2018年1月7日、第2次掲載日:1月8日、第3次掲載日:1月11日、第4次掲載日:1月 日、第5次掲載日: 月 日)