福重の名所旧跡や地形
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一楽小堤(福重町)
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一楽小堤(いちらく こづつみ) | 場所:長崎県大村市 福重町 |
一楽の地名について、現在の福重町(旧・矢上郷)の字(あざ)に「一楽(いちらく)」がある。江戸時代に編さんされた(大村)郷村記によると、このため池は、先の字(地名)から一楽小堤で記述されている。本ページでも、その名称を使っている。 一楽小堤の築堤年は、不明である。なお、現在は、左側写真の通り、ほぼ四角形である。しかし、当初から、これと同じ形状や大きさだったかは、不明である。後世に、何らかの工事で変わった可能性がある。(左側写真:一楽小堤、グーグルアースの空中写真より) |
概要紹介 まず、一楽小堤名称の由来は、現在の福重町(旧・矢上郷)の字(あざ)に「一楽(いちらく)」があるからと思われます。そのことから、江戸時代に編さんされた(大村)郷村記の「堤之事(つつみのこと)」内によりますと、このため池は、先の字(地名)の項目部分に一楽小堤の名称で記述されています。 場所は、先に書いていますし1番目の写真でも、お分かり通り北側にある石走川から南側へ直線で約60m、逆に南側にある福重小学校のプールや福重幼稚園から北側へ約70mの位置にあります。そのような学校の関係により、草場町や福重町に住んでいて福重小学校へ通学する児童のかなりの人数は、この一楽小堤を真横に見ながら登校・下校していることになります。
一楽小堤の形状は、上から1と2番目写真通りで、ほぼ四角形を(現在)しています。ただし、当初から、これと同じ形状や大きさだったかは、不明です。現在の大きさは、目測で南北間が約15m、東西間が約20mです。この大きさ・貯水量からして、耕作地面積(このため池から水を供給していた水田面積)は、そう広くはなかったことが想像できます。 (大村)郷村記の記述内容 この一楽小堤について、復刻版=活字版の大村郷村記(発行者:図書刊行会、編者:藤野保氏)第2巻(福重村)94ページに、一楽小堤として記述されています。原文は、縦書きの続き文で旧漢字体などです。念のため、できるだけ原文は生かしたいのですが、ホームページ表記できない文字もあるため、それらと同じような漢字に上野の方で変換しています。 なお、見やすくするため太文字に変え、さらに空白(スペース)や改行もしています。あと、引用、参照される方は、必ず大村郷村記の原本から、お願いします。今回、現代語訳も青文字で(大村)郷村記の下部に書いています。 一 一楽小堤 根切長八間 根切横壱間 土居長拾弐間 築留横三尺 直立壱間 尺八壱間五寸 懸田壱段七畝壱歩半 蔵入 ・現代語訳 上記の大村郷村記を現代語訳しますと、下記 < >内の青文字通りと思われます。ただし、上野の素人訳ですので、あくまでも、ご参考程度に、ご覧願えないでしょうか。下記は、見やすいように句読点の挿入、あるいは太文字や改行など変えています。
< 一つ 一楽小堤(いちらくこつつみ) 根切長は約9.4m 、 根切横は約1.8m。 土居長は約21.7m 、 築留の横幅は約1m。 直立は約1.8m 、 尺八(水量調整用の栓ある所)の長さは約2m。 右の堤(注:一楽小堤のこと)の、(水を供給する)耕作地(面積)は約1689平方メートルである。 (この耕作地は)藏入(大村藩の直轄地)である。> 補足 (この原稿は、準備中。しばらく、お待ちください) 関係ホームページ: 、
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