福重の名所旧跡や地形
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矢上の天満宮(福重町)
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矢上の天満宮(やがみ の てんまんぐう) | 場所:長崎県大村市 福重町(個人所有地内) |
この『矢上の天満宮(やがみ の てんまんぐう)』の所在地は、大村市福重町(旧・矢上郷)の字(あざ)「一楽(いちらく)」(個人所有地)にあります。大村市立福重小学校のプールから北北西方向の位置です。 江戸時代の(大村)郷村記によれば建立(創建)は、延享(えんきょう)元年( 1744 )7月23日と記述されています。この天満宮は、「受験シーズンなどに福重地区内外から参詣がある」と聞いています。 (左写真は、矢上の天満宮) |
この矢上の天満宮について、復刻版=活字版の大村郷村記(発行者:図書刊行会、編者:藤野保氏)第2巻(福重村)117ページに、矢上の天満宮として記述されています。なお、原文は、縦書きの続き文で旧漢字体などです。 念のため、できるだけ原文は生かしたいのですが、ホームページ表記できない文字もあるため、それらと同じような漢字に上野の方で変換しています。 なお、見やすくするため太文字に変え、さらに改行もしています。なお、引用、参照される方は、必ず大村郷村記の原本から、お願いします。今回、現代語訳も青文字で大村郷村記の下部に書いています。 矢上 一 天満宮 紳躰木座像、彩色、宮代寅藏 例祭十一月廿五日 妙宣寺勧請 氏子中祭之 神殿 弐尺ニ三尺 萱宇 拝殿 九尺方 萱宇 境内入四間、 横三間 當社は延享元甲子年七月廿三日建立、導師妙宣寺八世桓妙院日秀 ・現代語訳 上記の大村郷村記をを現代語訳(口語訳)すると、次の< >の青文字通りと思われます。また、( )内は、分かりやすくするために、補足や送り仮名含めて意訳もしています。 念のため、下記は正式なものではなく、あくまでも上野の便宜上の訳ですから間違いあるかもしれませんので、ご注意願います。 < 矢上郷 一つ 天満宮 ご神体は彩色された木製の座像である。宮代(神社世話人代表)は寅蔵(とらぞう)である。例祭は、(毎年)11月25日で、妙宣寺に(来てもらって)法要をおこない、氏子で祭っている。 神殿は、奥行が約60cm、横幅が約90cmの萱(かや)ぶき屋根である。 拝殿は、約2.7m四方の萱(かや)ぶき屋根である。 境内(けいだい)は、奥行約7m、横幅が約5mである。 当社(天満宮)は、延享(えんきょう)元年(がんねん)甲子(きのえね、こうし)(1744)7月23日に建立(創建)された。(その時の)導師は、妙宣寺の第8代住職(である)桓妙院日秀である。 > 現在の状況と今後の予定 (この原稿は、準備中。しばらく、お待ちください) ・関係ページ:「矢上の天満宮の史跡説明板」 「矢上の天満宮の手水鉢」 (初回掲載日:2019年10月3日、第二次掲載日:2020年8月28日、第三次掲載日:8月29日、第四次掲載日: 月 日) |