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福重の名所旧跡や地形

赤似田小堤(野田町)
赤似田小堤(あかにた こづつみ) 場所:長崎県大村市 野田町
赤似田堤(大堤)の南側にある溜池
 赤似田小堤(あかにた こづつみ)の築堤年代は不明である。ただし、この小堤の北側(上側)にある赤似田堤(大堤)の築堤<江戸時代初期の寛文年代(1661年から1670年頃)>より、相当後だと言われている。なぜなら「大堤よりの漏水があるため下側に小堤を造った」との伝承が地元に残っているためだ。堤の広さは目算ながら南北約30m、東西約25mと思われる。なお、江戸時代の(大村)郷村記に記述があるので下記に紹介したい。(左側)写真の中央部が赤似田小堤。ただし水面半分位が蓮に覆われている)
赤似田堤(大堤)と、赤似田小堤(グーグルアースより)
伝承ながら赤似田堤(大堤)の漏水と灌漑対策で造られた赤似田小堤
 この項目については、今回紹介の赤似田小堤の前に、その北側(上側)にあり、福重地区最大の溜池(ためいけ)でもある赤似田堤(大堤)の概要を書いていきます。(右側画像=グーグルアースの空中写真参照)

 この赤似田堤の大きさは、戦前の1940年(昭和15年)頃に、堤体(堤防)のかさ上げ工事(5尺=1m50cm)以降の状態で、満水時面積:1.5ha 貯水量:104,000立方メートル 堤高:7.0m 堤長:90m 耕地:22haです。また、その水面の長さは、目算ながら南北間約220m、東西間約130mあります。

 このかさ上げ工事以前、つまり築堤当時の赤似田堤は、今より約5分の3位の大きさでした。(推測ながら南北間が200m弱、東西間100m弱だったか?) この位の大きさとなると、堤体(堤防)にかかる水圧も相当大きいものです。しかも、右側画像でもお分かりの通り、赤似田堤は、ほぼ長方形ですから、まともに上流側から下流側位置にある堤防に水圧が架かる構造です。

 赤似田堤(大堤)の築堤は、江戸時代初期の寛文年代(1661年から1670年頃)といわれています。その当時でも、きっちり水圧などに堪えられるように設計、施工されたとは思います。ただし、それでも築堤後、この赤似田堤(大堤)のから漏水(ろうすい)が続いたとの伝承が地元にあります。

 そのようなことから、今回紹介の赤似田小堤は漏水対策で造られたとの言い伝えも残っています。また、(大村)郷村記には、耕作地面積の記述(後の項目で紹介)もありありますので当然、灌漑(かんがい)対策もあったことでしょう。

大村郷村記の記述内容
 赤似田小堤について、復刻版=活字版の大村郷村記(発行者:図書刊行会、編者:藤野保氏)第2巻(福重村)97ページに記述されています。まず、その全文を下記の太文字で書いていきます。また、原文は、縦書きの続き文で旧漢字体などです。念のため、できるだけ原文は生かしたいのですが、ホームページ表記できない文字もあるため、それらと同じような漢字に上野の方で変換しています。

  なお、見やすくするため太文字に変え、さらに改行したり、文章の区切りと思えるところに空白(スペース)も入れています。なお、引用、参照される方は、必ず大村郷村記の原本から、お願いします。

赤似田小堤(007年7月13日撮影)
一 赤似田小堤
根切長八間   根切横壱間弐尺五寸
土居長拾弐間  築留横三尺
直立五尺弐寸  尺八壱間五寸
懸田三畝廿弐歩半       藏入


・現代語訳
  上記の大村郷村記を現代語訳しますと、下記 < >内の青文字通りと思われます。ただし、上野の素人訳ですので、あくまでも、ご参考程度に、ご覧願えないでしょうか。下記は、見やすいように句読点の挿入、あるいは太文字や改行など変えています。

 なお、「根切」「土居」「築留」「直立」などの用語は、現在もダム、用水路、土木や住宅建設時などに使用されている場合もあります。しかし、江戸時代の堤(ため池)表示の用語と、現在も全部一致しているかといいますと、そうでない内容もあるようなので、あえて( )内の補注などはしませんでした。

 <一つ 赤似田小堤(あかにたこづつみ)
  根切長は約14.5m 、 根切横は約2.6m。
  土居長は約22m 、 築留の横幅は約90cm。
  直立は約1.6m 、尺八(水量調整用の栓ある所)の長さは約1.9m。
  (水を供給する)耕作地(面積)は約平方305.8メートルである。
  (この耕作地は)藏入(大村藩の直轄地)である。>

蓮の花が綺麗なため池
 
 この赤似田小堤の水面には、3分の2近くの広さで(はす)が、繁茂(はんも)しています。について、広辞苑では、次の<>などが解説してあります。

 < (はす)=「はちすの略」、スイレン科の多年草。インドなどの原産。古く大陸から渡来した。仏教とのかかわりが強く、寺院の池、また池沼・水田などに栽培。長い根茎は先端にゆくほど肥大化し、ひげ根を出す。葉は水面にぬき出て、円く盾形で直径60センチに達し、長柄がある。夏、白色または紅色などの花を開く。 (後略) >

 ここからは私が見たままの感想ですが、ここのは、たぶん最初は別としても、その後は自然そのままで育ったのではないかと思います。この赤似田小堤(ため池)の水面をできるだけ広く入れた写真を撮ろうと思ったのですが、繁茂(はんも)している状態が広過ぎて、上記のような写真ばかりとなりました。

 あと、写真撮影時(2007年7月13日)の時季的なこともあるのか、咲いている花の数自体は多くなかったです。しかし、どれも蓮の花は、綺麗でした。

補足


  (この原稿は、準備中。しばらく、お待ちください)


(第一次掲載日:2019年1月10日、第ニ次掲載日:1月13日、第三次掲載日:1月14日、第四次掲載日:1月17日、第五次掲載日:1月18日、第六次掲載日: 月 日)



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