福重の名所旧跡や地形
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赤似田堤(野田町)
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赤似田堤(あかにたつつみ) | 場所:長崎県大村市 野田町 |
福重地区最大の溜池 赤似田堤は、江戸時代初期の寛文年代(1661年から1670年頃)に、野岳湖などをつくった深沢儀太夫の二代目・深沢勝幸にて築堤されたと伝えられています。さらに1940(昭和15)年頃に堤体(堤防)のかさ上げ工事がおこなわれ、貯水量が増大しました。ここの水は重井田町から約2kmにわたる井手(用水路)で引かれています。この井手の改修工事も度々おこなわれました。 赤似田堤の大きさは、満水時面積:1.5ha 貯水量:104,000立方メートル 堤高:7.0m 堤長:90m 耕地:22haです。 |
寛文年代の築堤工事後も水不足のため、その用水を隣の重井田を流れている佐奈川内川(さながわちがわ)に求めました。 その工事は伝承によると、重井田橋の上流の取水口から、この堤まで約2kmほとんど高低差がなく逐一水準を計りながら、人力のみの難工事だったようです。 夜も提灯の光りを頼りに縄を張り、水準を計っていたそうです。その後も、補修工事は続いたようです。1889(明治22)年3月には、水神様も建立されています。 戦前の堤かさ上げ工事について 「 干害応急施設耕地事業 野田郷赤似田溜池工事場 責任者 朝長銀次郎 」 この工事の喜びは大きかったためと思われますが、当時の野田郷の人が総出と言う感じで写真に写っておられます。完成祝いのエートンナ、野田楽隊の演奏、女相撲などもあったようです。(注:このページ掲載の白黒写真は、いずれも1940~1941年頃のものです) 重井田井手の改修工事(U字溝などの設置)について
一 同所大堤 根切長弐拾間 根切横拾三間半 土居長四拾四間 築留横弐間 直立四間半 尺八七間 懸田弐町七段五畝廿九歩 藏入 ・現代語訳 (この原稿は、準備中。しばらく、お待ち下さい) 補足 (この原稿は、準備中。しばらく、お待ち下さい) (初回掲載日:2005年6月25日、第二次掲載日:2019年1月22日、第三次掲載日:2019年2月17日、第三次掲載日:2019年 月 日、) |