福重の伝統芸能
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野田楽隊
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上記写真は1955(昭和30年)年3月24日 野田郷(町)公民館前にて | |||||||||||||||
名称:野田楽隊(のだ がくたい) 場所:長崎県大村市野田町 説明:(伝統芸能の部類に入らないが)『野田楽隊』をこのページで、ご紹介します。 野田楽隊の起源と演奏などについて 野田郷生まれの浜田彪さん(浜田彪氏についての詳細は、ここから参照下さい)が、1933(昭和8)年に、野田郷青年団へ(当時の金額で)100円を寄付されています。 この資金をもとに青年団は、当時まだ珍しかった楽器の購入資金にあてられたと言います。この楽器は、1940(昭和15年)頃に赤似田堤のかさ上げ工事落成記念の祝宴で既に登場して演奏されています。(この当時の写真は、ここからご覧下さい) (次の太文字は上野が付けた) その後、戦争中を除き毎年開催されている福重の敬老会などで演奏されました。この野田楽隊は、福重村では一団体だけでしたので大変な人気がありました。皆さん、集まっての練習はなかなか気苦労もあったようです。
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1953年(昭和29年)8月の日米合同野営大会記念の野田楽隊 | |||||||||||||||
<補足説明>上記写真上部に白抜ぬき文字で、、昭和29年8月 日米合同野営大会記念」と書いてあります。撮影年は、上記文字通り、1954(昭和29)年8月です。全員カッターシャツの長袖をまくり上げているか、半袖シャツなので夏季であることが服装からも良く分かります。白カッターシャツと白ズボン姿が、野田楽隊の制服がわりだったのでしょう。 ここからは上野の推測・想像です。先の文字で日米とは「日本とアメリカ」、野営とは「キャンプまたは合同練習(練習試合含む)」のことでしょう。撮影場所は、不明ながら靴を履いておられるので、どこかの大きな会議室のようです。(もしも旅館でしたら、大広間含めて全部当時は和室でしたから、靴は脱いでいるはずです) (楽器の説明は上段の項目を参照) また、大会記念との文字もありますので、例えば日米合同野球大会などを指しているのかもしれません。いずれにしても、この野田楽隊(ブラスバンド)は、戦前戦後の頃、大村市内には、まだブラスバンド自体が無かった時期でしたので、どこかも人気があり、演奏依頼がありました。上記写真には、2022年現在で既に亡くなられた方もいますが、当時の若々しい、懐かしい顔ばかりの方々です。 (この写真の追加掲載日:2022年12月21日) |
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その他 野田町には、この『野田楽隊』だけでなく、『野田新地節』のほか『野田鍬踊り』も同時に伝承されてきました。福重の敬老会などでは、この両踊りを隔年度ごとに踊られた実績があります。 なお、『野田鍬踊り』、『野田新地節』は、このページとは別に、下記をクリックしてご覧下さい。(掲載日:2005年2月22日、訂正及び追加分掲載日:2006年3月31日) ・野田鍬踊り ・野田新地節 |