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福重の伝統芸能

野田鍬踊
名称:野田鍬踊(のだくわおどり)
場所:長崎県大村市野田町
説明:
野田鍬踊の起源について
 大正時代(1912〜1926年)の中期頃、西彼杵郡中浦(現在の西海町)の住人で越田善吉さんが東北方面へ旅行された時、人と鍬とが一体となり喜び、豊作を祝っておどる踊りに感動され、自分も習い持ち帰られました。その後、大正末期頃、西大村の池田坂口に転勤され当時の野田郷の田川家(現在の越田家)と親戚関係であられたので、当時の青年団などの方に伝授されたものです。

 また、その後の郷内(町内)のお祝い、福重地区の敬老会や夏祭りの余興などに踊られたとの話も伝わっています。

 なお、今大村市内には同種の鍬踊りが、『小路口の鍬踊り』、『宮代の鍬踊り』がありますが、二つとも野田郷(野田町)出身者が、その踊りを伝授したとも言われています。ですから、踊り方や歌い方は、ほぼ同じです。

踊りの概要
 野良衣姿の男女が鍬を片手におどる豊年万作踊りです。明るく、軽快な踊りは、農民の心意気を面白く表現しています。

(踊りの流れ) 歌い手 − 囃子(はやし)・鈴 − 踊り手の順に鍬をかつぎ踊りながら入場し、演技します。円陣をつくり、歌と囃子に合わせて腰で調子を取りながら、鍬を振り上げ田畑を耕す所作を軽快な動きで踊ります。

 道踊りと本踊りがあります。道踊りの歌詞は、一部その行事に合ったものに変えます。
1954(昭和29)年10月17日撮影 福重の敬老会(福重小学校)

野田鍬踊の歌詞
1、道踊り

・チャンリン、ちゃんちん、チャンリンゆうて とっぱしろうじゃないか
 走ろにや帆もないかじもない オヤマカチャンリン
・船はチャンブレ船、船頭さんはチンバ 乗せたお客はビンタハゲ
 オヤマカチャンリン
・すべったか ころんだか チャンポン屋の前で チャンポン一杯くわなきゃ
 腰たたぬ オヤマカチャンリン
・あなた正宗 わたしゃ錆び刀 あなた斬れても わしゃ斬れぬ
 オヤマカチャンリン
・郡岳から湧き出る水も 野田へ 野田へと ながれでる
 オヤマカチャンリン
・あなた百まで わしゃ九十九まで ともに白髪のはえるまで オヤマカチャンリン

2、本踊り
・田打ちゃ鍬でする五穀がとれる アー ホンマニ ホンマニ
・とれた五穀お国の宝  アー ホンマニ ホンマニ
・宝作ってお国を富ませ  アー ソコヤレ ソコヤレ
・お国富ますは我らがのつとめ アー ソコヤレ ソコヤレ
・今年は豊年どし穂に穂がさいて アー シットカナ シットカナ
・道の小草までお米がとれる アー シットカナ シットカナ
・秋の黄金が色なすときは アー ソコヤレ ソコヤレ
・お倉開いて俵の準備 アー ソコヤレ ソコヤレ

その他
 野田町には、この『鍬踊り』とは別に『新地節』も伝承されてきました。福重の敬老会などでは、この両踊りを隔年度ごとに踊られた実績があります。また、(伝統芸能の部類に入らないかもしれませんが)『野田楽隊』もありました。各行事では、これらの踊りとともにけっこう賑わっていて、福重地区のご年配の方は、良くご存知の人も多いです。

 なお、このページとは別に、『野田新地節』と『野田楽隊』ついては、下記をクリックしてご覧下さい。(掲載日:2005年1月15日)

野田新地節
野田楽隊


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