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福重の伝統芸能

野田新地節
名称:野田新地節(のだしんちぶし)
場所:長崎県大村市野田町
説明:
野田新地節の起源について
 野田新地節は、明治時代の後期に諫早の小野島から伝授されたとの説もあります。また、『福重青年団史』には、概要次の通りの記述もあります。「昭和4年から5年頃、北高木郡深海に当時の野田郷青年団が習いに行き、この方々に野田郷まで来てもらい鷲塚家で二昼夜稽古をした」とも書かれています。

 どちらにしても諫早干拓当時の終末の様子の踊りや歌を当時の野田郷の方々が習われ、福重地区の敬老会、野田での祝宴などの余興として、歌い踊られました。

 歌詞(最下記を参照)の中には、人気のお春ちゃんが登場し、軽快で明るい干拓の労働歌です。

踊りの概要
 (踊りの流れ)踊り手ー歌い手ー囃子方の順に入場し上演されます。芸能の見どころは、潟を入れる者と、それを天びん棒で荷う者、男女が一組となり歌と囃子に合わせて、腰を振りながら軽快な動きで面白く踊る所作です。
1949(昭和24)年10月  福重の敬老会(福重小学校)
1953(昭和28)年10月11日撮影 福重の敬老会(福重小学校)
野田新地節の歌詞
(歌詞の内容は、諫早の小野島の新地節とほとんど大差ないないが、少しづつ郷土の方言に変わってきています)

・アラヨー 新地土手から小野島ば見ればよー
      アラヨー なぐれお春やんが潟ばいなう    <注:なぐれ=ながれ者>
・アラヨー 潟どんばいなうよりゃ わが身どんば飾れー
      アラヨー 我が身飾れば銭もらう
・アラヨー 新地固まる石方さんは帰るー
      アラヨー あとに残るは納屋ばかり
・アラヨー 新地潟止めにゃおいも来るさー       <注:おい=俺>
      アラヨー 来たちゃー仕事たアーなか
・アラヨー 仕事た無か ちうたちゃおいもくるサー
      アラヨー 石のくでらどんば船に積む     <注:くでら=かげら>
・アラヨー 新地の役人さんな このしろ無塩
      アラヨー なごは置かれんば夏の魚     <注:役人は臨時の任務なので埋め立てが終わると失業するので生魚と同じである>>

その他
 野田町には、この『野田新地節』のほか『野田鍬踊り』も同時に伝承されてきました。福重の敬老会などでは、この両踊りを隔年度ごとに踊られた実績があります。また、(伝統芸能の部類に入らないかもしれませんが)『野田楽隊』もありました。各行事では、これらの踊りとともにけっこう賑わっていて、福重地区のご年配の方は、良くご存知の人も多いです。

 なお、『野田鍬踊り』このページとは別に、下記をクリックしてご覧下さい。(掲載日:2005年1月15日)
野田鍬踊り
野田楽隊

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