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お殿様の偽装
22)おおむら浪漫2
大村の歴史を考えるシリーズ
お殿様の偽装
大村氏は平姓

大村氏は平
大村純治と同一人物と言われている「大村純伊」五輪塔の拓本
(平姓に、ご注目)
本当の系図上からも平姓
 前ページで、大村氏が「四国から来た」のではなく、佐賀の藤津郡から来たことを書きました。今回のページは、「四国から来た」説と同時に偽装の「藤原家出身」と言うことを書いています。

 結論から先に書きますと、「大村氏は全国の大村氏同様で佐賀・藤津郡の大村直(おおむらあたえ)の後裔であるため、平性である」と参考文献を書いておられる先生方は、ほぼ総て同じように記述されています。

 江戸時代大村藩は、系図上で「藤原姓」に偽装しただけでなく、わざわざ、その「藤原姓」を強調するために、藤原氏祖先を祭る神社まで建てています。しかも、当時の長崎街道から目立つ所にです。

 あと、これは偽装とか証拠隠しではないのですが、大村純治と同一人物と言われている「大村純伊」及びその子の大村純前(おおむらすみあき)の墓は、当時居城していた今富城(現・大村市皆同町)近くにあったと言われています。

 しかし、1574(天正2)年、度重なる宣教師からの要請を受けていた大村純忠がついに許可し、キリシタンが領内にある神社仏閣のいっせい焼き討ち、キリシタンに改宗しない領民追放、阿乗などの僧侶殺害までおこないました。さらにキリシタンは、同じ頃に「大村純伊」や大村純前などの墓をあばき、遺骨は郡川に流したと言われています。(この項、『大村市の文化財』参照)

 この大村純忠時代のキリシタンの行為により、大村純治関係の史料は、ほぼ完全に大村側ではなくなったと思われます。ここまで状況がそろっていると平姓の証拠はなんにもなく、”完璧状態”か、テレビドラマなら”完全トリック”成立だったはずです。

大村純伊五輪塔地輪に堂々と平姓
 しかし、思わぬところから、この偽装のトリックは暴露され、しかも、それはほかならぬ大村純治と同一人物と言われている大村純伊五輪塔地輪(右下の写真)からでした。この五輪塔地輪は、1957(昭和32)年の大村大水害時のがけ崩れで偶然出土しました。まるで、ご先祖様が「いつまで我々を偽装するのか」と言われているような感じさえするくらいです。

 右上写真「大村純伊」の五輪塔(拓本)(大村史談会青年部発行『おおむら史記』より)をご覧下さい。ここには、「平朝臣前勢州太守純伊」と彫られています。この字の意味は「前の太守(殿様)である平朝臣の純伊」と言う意味と思われます。(朝臣とは、姓の第一位で、敬称)

 この五輪塔を建立したのは「大村純伊」の子が建てた頃ですから、最低でもその当時までは大村氏は「藤原姓」と言う偽装ではなく、堂々と本当の平姓を名乗っているのです。

大村純治と同一人物と言われている大村純伊五輪塔地輪
(写真は『大村市の文化財』より)
 このことを江戸時代の大村藩が知っていたのか、知らないのか定かではないようです。もしも知っていながら「藤原姓」を名乗ったならば、ご先祖様をも恐れぬ”大偽装”だったと思われます。

 あと、私は、この五輪塔の意味するところは、単に「藤原姓」でなく大村氏は平姓と名乗っている証拠品と見るだけでなく、江戸時代大村藩が偽装して作った大村氏系図やその考え方根本を否定しているのでないかなあとも思いました。これで、大村氏は出身・系図上からも平姓ですし、動かぬ証拠の五輪塔からも平姓が二重に証明されました。

 しかし、そんな状況がありながら公的機関はいまだに偽装の系図と歴史をそのまま基本的には使って、出版物や市内の案内板に掲げてあるのです。さらには市民の方が指摘されているにも関わらず先の2005年のパブリックコメント歴史案内人養成講座資料(年表)などにも使っているのです。念のため繰り返しになりますが歴史専門の本などには、但し書きや別論みたいにして本当のことを書いてあることは補足しておきます。

「なぜ、藤原姓を変える必要があるのか」
 補足みたいになりますが、私はある方と大村氏は「藤原姓」か平姓かで話したことがありました。その方は、単純明快に「”藤原”と言えば、昔は天皇家の次に大きな名前バイ。それがなんで、養子でもなかとに名前を変えて”大村”にならんばと。大村に来ても”俺は藤原バイ”と名乗れば良かたいね。藤原姓は偽装に決まっとるたいね」と、言われました。なるほど、系図とか五輪塔とか難しいこと言わなくても、このような言い方が妙に説得力あるなあと、私は思いました。

 現代でも男性の場合、養子縁組なら別ですが通常なら名前を変えることは一生の内ほとんどないと思います。ましてや大昔だったら、血筋、家柄が総ての時代です。偽装ながら
「四国から来た」説以上に、この「藤原」から大村の名前に変わった説はあり得ないのかなあとも思いました。

 (掲載日:2006年4月28日)
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