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お殿様の偽装
22)おおむら浪漫2
大村の歴史を考えるシリーズ
お殿様の偽装
追加文その2、大村市の観光サイト(1)

追加文その2、大村市の観光サイト(1)
偽装の「千年の歴史」が大村市観光コンベンション協会サイトに掲載
 始めに、このシリーズ「あとがき」後2回目の追加文を書くことになりました。さらに、いずれ3回目も掲載する予定です。今回のテーマは、(社)大村市観光コンベンション協会のサイト(ホームページ)の歴史関係についてです。まず、このサイトの名称は「長崎県大村市の観光ガイド よって行かんね おおむら」です。運営は、(社)大村市観光コンベンション協会です。社団法人ですから、名目上は大村市(市役所)とは別法人ですが、事実上、大村市の観光や施設運営などを担っておられる協会です。

偽装極めつけの記述「千年の歴史」
(トップページより)
 また、私も大村市の地区別ミーティング(7月7日に参加した)の席上、市側から「近い内に、歴史観光のホームページを開設予定です」との説明を聞きましたので、その流れの一環でこのサイトは出来たものと思っています。正式開設日は掲載されていないようですが、7月下旬(7月28日頃か?)だったと思います。

 本題に入る前に、このサイト全体についてですが、(オーソドックスな作りながら)第一印象見やすい、スッキリとしたページ構成です。適度の大きさと枚数が配置された写真、左コンテンツがありながらも次に見たいページに行きやすい作りです。

 さらには、『フルーツの里ふくしげ』ページの『フルーツ狩りカレンダー』などは一目で分かりやすいイラストつきの表です。(このようなページは『観光のキーワード 花と緑と食』にも役立つのではないでしょうか) また、『グルメ情報』や『ナイト情報』も各店名や電話番号さらには住所からクリックすれば地図確認できるので便利だと思いました。

 ただし、これから述べる歴史関係の記述は、甚だ残念と言わざるを得ない内容です。まず、このサイトのトップページ中央左側(注:このページ右側上部の写真を参照)に「キリシタン史跡 武家屋敷 長崎街道 大村宿/松原宿」、太い大文字で「千年の歴史を散策」と掲載されています。また、その下の2番目「大村藩玖島城と城下町」をクリックしますと、下記の図(注:下図は、その一部分)が表示されます。(ただし、赤いアンダーラインは管理人が注釈のため付けたものです)

偽装極めつけの記述「大村氏が四国から来た」説が書いてある
 ここには「大村氏は、古代平安時代に藤原直澄が四国から移り住み大村氏を名乗ってから・・・」と書かれています。

 この表現は、この『お殿様の偽装』シリーズで何回も書いてきました「大村千年の歴史」は(概要)<994年に四国から来た藤原姓の大村氏の祖先が大村にやって来て、それからずっと大村を支配(統治)した」と言うこととほぼ同じです。

 つまり、歴史的には全く裏付け根拠がないばかりか、江戸時代の大村藩が偽装したそのものの表現です。これまた、このシリーズで何回となく説明してしてきましたが、詳細は、<大村の偽装の歴史や表現一覧表>、<参考文献、本、書籍一覧表>、<2005年のパブリックコメント>を、ご覧になってくださらないでしょうか。

極めつけの偽装の歴史”案内板
大村市指定史跡の寺島
なぜ、偽装の「千年の歴史」表現に固執するのか
 私は、これまで、遅くても1980年代に、この「大村千年の歴史」は、著名な歴史関係の学者さんや先生方の間では、偽装であることが決着済みと書いてきました。また、既に掲載しています<正々堂々と正して欲しい>ページにも書きましたが、大村氏の子孫の方さえも、今春(2006年)発行された『大村史談第五十七号』に「大村千年の歴史」などの呼び方について『これは止めるべきである。』と提言されておられることも、何回となく紹介してきました。

 今回あと、もう一つ大村市教育委員会(2003年3月31日)発行の『大村の歴史』と言う本の51ページから「大村氏の入部」と言う項目を設けて書いてあることを一部紹介致します。この項目の大半は裏付け根拠のない偽装の歴史のままの記述です。ただし、後半部分に注目すべき記述が書いてあります。それは写経の史料を例に挙げながら(54ページ)「・・・大村氏発祥の地を鹿島(注:佐賀県)とする説をさらに強めているように思われます。」と書いてあります。

 この記述は婉曲な言い回しながら大村市教育委員会自体も「大村氏は四国から来た説」と全く違う「佐賀(鹿島)から来た説」を後半部分で展開されているのです。たとえこの本に、この説があってもなくても1980年代には「大村氏は四国から来た説」が偽装であることは、もう郷土史関係の学者さんや先生方では決着済みでしたが、2003年発行のこの本は一部の表現とは言え、さらに「四国説」を否定している記述でもあります。

 ですから、繰り返しになりますが大村市観光コンベンション協会のサイトに上記の図の通り(赤いアンダーライン部分の)「大村氏は四国から来た説」=「大村千年の歴史」(あるいは「大村家の統治が千年続いた」)説はありえないことであり、偽装極め付けの表現なのです。大村に来て頂けるであろう多くの観光客も閲覧される可能性が大きい、事実上の大村市公式観光案内サイトに、このような間違い記述を紹介していいのでしょうか。

 このようなキャッチフレーズみたいな短い言葉は、色々な本やホームページなどに書くと”独り歩き”しやすいことも、前回ページ(追加文その1、大村市総合計画)に書いた通りです。是非削除して欲しい偽装の表現です。

約8000年前の岩名遺跡(今富町)
写真は、市内遺跡発掘調査速報より
約2000年前の富の原遺跡(富の原町)
写真は、大村市の文化財より
大村の歴史は「千年の歴史」ではない、
他市サイトの歴史ページは遺跡や古墳から掲載

 過去から現在まで続く大村の歴史は、”千年の歴史”でないことは郷土史の先生方の論を待たずしても明々白々です。このことも、このシリーズで何回も事実を持って申し上げてきましので、他のページをご参照くださらないでしょうか。

 (このページでは、右側の岩名遺跡と富の原遺跡写真をご覧下さい。また、これらの地域は、この後ずっと人が沢山住み郡地区を中心に栄えたことを物語っているのです)簡単にまとめますと、大村の歴史は、千年どころか、奈良・京都の歴史に比べても、そんなに大きくは違わないと申し上げておきます。

 あと、この観光サイトの記述では「千年の歴史を散策」と太い大文字で銘打っている割には、「千年」の記述がないのです。(本論に続く)見出しで現在下記3項目があります。
1)「大村純忠とキリシタン史跡」
2)「大村藩玖島城と城下町」
3)「異国文化行き交う長崎街道」

 この時代を列記すると1)の大村純忠は1533年に生まれ1587年に没していますから、約450年前のことです。キリシタン史跡は大村純忠時代と江戸時代の郡崩れ(1657年)がそのほとんどで、約450年前か約350年前の出来事です。

 2)の「玖島城と城下町」の項では、玖島城(大村城)の築城は1599年ですから、そこから計算しても約400年前です。3)の長崎街道の発展は江戸時代初期から少し下った頃から江戸、京都、大坂、小倉などとの往来が活発になったと言われていますから、約370年前からです。

 以上、「千年の歴史を散策」と見出し(タイトル)がありながら、実際の中身は一番古い項目でも約450年前からですから、実に、おかしな記述と言えます。大村の観光サイトと似た様な観光と歴史案内が掲載されている、同じ長崎県内の例えば壱岐観光協会対馬観光物産協会などのサイトと見比べてみて頂けないでしょうか。

 これらのサイトは、有名な原の辻遺跡などの紹介を始め、ありのままの歴史を真面目にたんたんと書かれているような気がします。それに比べ大村市の歴史案内ページは、平気で偽装の「千年の歴史」表現を使ったり、「千年の歴史を散策」と太い文字見出しで書きつつ中身は全部500年にも満たないようなことばかりの記述なのです。

 壱岐、対馬と大村の歴史の長さは、そんな変わらないはずです。私は、大村の歴史を観光客に知らせようとする時、先のページで紹介しました大村市総合計画やこの観光サイト含めて最初からボタンの掛け間違いをしておられるような気がします。それは、既に先のページ<誤解を招くような表現その1、大村中心地>にも書きましたが、大村の中心地として500年あるかないかの現在の中心地を、あたかも千年くらい長く続いて来たかのごとく見せようとしているのではないでしょうか。

 このようなことを書けば「いや、二千年や三千の歴史を描こうにも、その史跡や見る所がないから、400年くらいの所をコースに選んでいる」と言う声が聞こえてきます。しかし、これらのことについても既に先のページ<誤解を招くような表現その1、大村中心地>書いていますから、このページではこの議論は省略します。いずれにしても、今のままでは大村全体や大村の歴史そのものから描いているとは到底思えません。

 全国には、遺跡や古墳に興味ある方、古い史跡巡りが趣味の方も多いでしょうし、また、何のきっかけで大村の歴史に関心を持たれるか分からない時代です。さらにホームページなどで調べられる機会もあろうかと思います。そんな時、偽装の表現=「大村千年の歴史」(あるいは「大村家の統治が千年続いた」)説とか、見出しと中身の年代が違うことを、大村市の公式観光歴史案内サイトに書いていいものでしょうか。

 このシリーズ、何回もなんかいも申し上げている通り(<正々堂々と正して欲しい>ページご参照を)、やはり偽装の歴史は削除すべきです。また、他市と同様に歴史関係事項は正確に記述することが求められています。事実や中身と違うキャッチフレーズは、こと歴史に関しては必要ないと思われます。繰り返しになりますが、大村の歴史は、「千年」ではないのです。

(掲載日:2006年8月21日) 
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