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1941年(福重村写真集)銃後の郷土 はじめに

はじめに
  現在の長崎県大村市、福重地区(福重小学校の校区=10町内)は、1942年2月11日、大村市と合併するまでは福重村でした。その福重村から太平洋戦争開始直前の1941年11月に(福重村写真集)『銃後の郷土』が発刊されました。この写真集の概要を箇条書きにしますと下記の通りです。(右下側写真は、『銃後の郷土』の表紙。文字は全て右側から読む)

(1941年、(福重村写真集)『銃後の郷土』の表紙

<(福重村写真集)『銃後の郷土』の概要について>
(1)作成者:福重村銃後奉公会(事実上は当時の福重村役場と推測される)
(2)作成年:1941(昭和16)年11月に発行された

(3)撮影月:1941(昭和16)年10月〜11月頃(数ヶ月間かけて写された)と推測される (その理由は大神宮の秋季例祭や福重の風景、例えば稲刈りなどから時期が推測できるため)
(4)目的:戦地の兵隊への慰問袋に入れるため

(5)大きさ:A5版(横22cm、縦15cm、厚さ5mm)
(6)ページ数:全体で48ページ

(7)発行当時の特徴的な状況:
 ・太平洋戦争開始直前、
 ・翌年(1942年)2月11日に大村市との合併のため福重村は解散する直前、
 ・皇紀2601年 など

(8)原版:福重地区では数冊が現存
(9)復刻版:時期不明ながら戦後しばらくしてから復刻版が作成されたが、残存数は不明

<各ページの補足説明について>

  全体48ページには写真の説明文として、(一部旧漢字体も含めて)1行もしくは2行程度書いてあります。しかし、元々、写真集という性格上、詳細な撮影場所や補足の説明文章などはありません。その点を出来るだけ詳細に今の内に残しておきたいために、現在進行形で調査もしています。

 ただ、写真に写っておられる幼児もしくは小学校の生徒さんでも、70年ほどの前の撮影ですから、既に現在では80歳前後になっておられて、なかなか当時の証言を聞くだけでも困難を極めています。また、撮影場所の特定も、建物の場合は全てが改築や移転となっていますし、風景も山など除けば、かなり変わってしまっています。

 そのような状況から、ほんの数行程度の補足文章を付けるのも難しい場合もありますが、聞き取りした範囲内で出来るだけ詳細に書きたいとも思っています。

 (福重村写真集)『銃後の郷土』は、全体48ページの写真集です。もくじページから各写真ページへ飛べるようにリンクを張っていますので、ご覧いただければ嬉しいです。準備できしだい順次掲載予定ですので、気長にお待ち願います。(掲載日:2013年7月19日)


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