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1941年(福重村写真集)銃後の郷土 表紙

表紙


<補足説明>

(1)上記写真の文章は、全て右側から読む。

(2)上記写真の文章を通常の左横書きに直すと、上から順番に下記の太文字の通りである。( )内やは、注釈や補足である。などに書いている言葉の意味は、国語辞典の大辞泉より引用した。

  紀元二千六百一年 (皇紀2601年=西暦1941年=昭和16年)
  銃後の郷土 (下記のを参照)
  長崎縣東彼杵郡 (下記のを参照)
  福重村銃後奉公會 (作成者。會は旧漢字で現在の会である)

注:紀元、皇紀=神武天皇即位の年とされる西暦紀元前660年を元年と定めて皇紀と称した。
注:銃後=戦場の後方。直接戦闘に携わっていないが、間接的に何かの形で戦争に参加している一般国民。「銃後の守り」
注:長崎県東彼杵郡に大村市が誕生する前まで福重村などは入っていた。


(3)作成団体は、福重村銃後奉公會となっているが、事実上は福重村役場によって作られたものと推測される。なぜなら、村役場職員の集合写真はあるが、福重村銃後奉公會メンバーの記念写真がない。 (掲載日:2013年7月20日)


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