福重のあゆみ、舟つなぎ石
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舟つなぎ石
このことの伝承の一つとして先のページには「皆同町の舟つなぎ石」(右図の中央下の赤枠)、「福重町(旧・矢上郷)の舟つなぎ石」(図の中央右横の赤枠)を紹介しました。 なお、両舟つなぎ石の写真は、右の(1)、(2)通りです。なお、この二つの舟つなぎ石だけでなく、ほかにもこの地域には沢山あったそうです。 残念ながら、田んぼの基盤整備、住宅地や道路拡張工事などで、なくなったそうです。 私は、今回これら舟つなぎ石の写真を撮るために、実際の石も見て、手でも触りました。 現在なら船をロープで係留する方法しか思い浮かばないのですが、そのような方法なら、これらの石の中にはあんまり尖った形状ではなく、少し疑問が湧くのもありました。 つまり、石によっては係留するために綱をまわしにくい、あるいは繋いだとしても綱が外れやすい形状かなあとも考えました。ただ、石は一つだけではないので、数個を何らかの方法(例えば、石と石の間に丸太みたいな物を渡せば綱はつなぎやすい)で工夫すれば、それは可能だと思いました。 <野田町の舟つなぎ石> これら舟つなぎ石の伝承は、上の右図で示している地域だけでなく、実は郡川の支流の一つである佐奈川内川(さながわちがわ)のさらに支流になる野田川付近(大村市野田町)の田んぼにもありました。(写真は下記の通りです) この舟つなぎ石があった所(鷲塚さんの田んぼ)は、右の字(あざ)図で「上山田(かみやまだ)」と言う所です。ここは、野田川のかなり中流域になります。「まさか、ここまでは海がきていたと思われない」との指摘があるかもしれません。 確かに現在の状況からすればその通りで、この野田川の左右には山林が迫ってきている感じに見えます。しかし、この野田川と野田町の尾根を挟んで反対側に位置する佐奈川内川付近に気になる地名があります。 それは右上の字図で楕円で囲んでいる「大村田」と「本倉」の間に「鼻先(はなさき)」と言う地名があります。先ほどの「上山田」の間の「平原(ひらばる)」を挟んだ反対側です。
また、川の名前の違いはありますが、どちらも川の近くであることも、似ています。 この「鼻先」という地名の由来は、『土地の形成』のページに書いていますが、海の近くにちなんでいたと言われています。ですから、100%と海と関係なかったともいい切れません。 現在の海の位置からは想像もできませんが、福重町(旧・矢上郷)、皆同・寿古町の平野部の相当部分が海だった頃は、もう少しは今富町や野田町の平野部(田んぼ)も、海に近かったかもしれません。(掲載日:2004年12月15日) ・関連の『福重のあゆみ、土地の形成』は、ここからご覧下さい。 <・参考文献、参考資料一覧は、ここからどうぞ> ・『福重のあゆみ、もくじ』ページは、ここから、お戻り下さい。 |