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大村の歴史
 宮中献穀事業(きゅうちゅう けんこく じぎょう)
(写真1) 2025年6月14日、お田植え祭 (大村市寿古町にある水田)
名称:宮中献穀事業(きゅうちゅう けんこく じぎょう)
所在地:大村市内各地の水田(その実施年によって場所は違う))
目的:下記の「宮中献穀事業(きゅうちゅう けんこく じぎょう)とは」などを参照
 注1:このページ掲載写真は、順不同で上からの順番や写真整理番号には、何の意味もない。
 注2:このページは、2025年6月現在で過去の大村市内での同内容事業について、その全部を上野が調べきれていない、同時進行中、あるいは今後の行事予定もあるので、あくまでも、これらの内容は掲載年月日現在の内容である。
 注2:上記のことから、当然、これからも追加、補足解釈、改訂などを何度も繰繰り返して再掲載する予定である。そのため、あくまでも、参考程度に閲覧願いたい。

 まず、宮中献穀事業(きゅうちゅう けんこく じぎょう)とは、どのようなことか先に述べます。大村市、佐世保市、雲仙市などの各ホームページから引用、参照、補足などをして下記点線内に、より分かりやすく書き直しました。なお、用語解説について、下段にまとめて記述します。点線内の用語で宮中(きゅうちゅう)とは「天皇、皇室」、祭祀(さいひ)とは「 神や祖先を祭ること。」(デジタル大辞泉より)の意味です。
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(写真2) 2025年6月14日、お田植え祭神事(寿古町公民館)
 宮中献穀事業(きゅうちゅう けんこく じぎょう)とは、1892(明治25)年から始まり、宮中祭祀(皇室行事である)新嘗祭(しんじょうさい、にいなめさい)日本全国から宮中へ新米を献上することです。 長崎県からも毎年、新穀(新米)が献上されています。このような事業は、米生産地としてのPRをはじめ、稲作文化(いなさくぶんか)の継承(けいしょう)や地元住民との交流促進(こうりゅうそくしん)など、地域の活性化(かっせいか)を目的としています。

 大村市内の例では、
(2025年6月の上野調べ段階で)戦前や戦後頃の記録は、調べきれていません。あと、1975年頃(場所不明)、1995 (平成7)年に陰平町、2025年(令和7)年に寿古町で開催されています。
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宮中献穀事業名の用語解説(開催月日や実施例含めて)
 念のため、下表は、大村市内で2025年実施または予定の「宮中献穀事業名と、その用語解説」を書いています。当然、全国や県内他市では、下表の用語以外にもあります。また、過去に大村市内で実施された中でも、下表と違う内容もあるようです。そのようなことから、あくまでも、下表の用語や実施年月日などは、ご参考程度に閲覧願います。
事業の月日  宮中献穀事業名と、その用語解説
 2025年2月26日   宮中献穀大村市奉賛会設立総会 宮中献穀大村市奉賛会設立総会を実施し、宮中献穀事業の主体となる「宮中献穀大村市奉賛会」が設立された。設立総会では会則や事業計画を中心に議論が進められた。
2025年5月10日  斉田清祓(さいでんきよはらい)播種祭(はしゅさい)」  斉田清祓(さいでんきよはらい)とは、コメ(米)を育てて(稲作)収穫する水田を清める儀式である。 播種祭(はしゅさい)とは、モミまき(種まき)のことである。現在では育苗箱にモミまきするのが、ほぼ100パーセントである。
2025年6月14日  お田植え祭  お田植え祭とは、一般に言うと(神事などのない)「田植え」のことである。ただし、お田植え祭は、上記の播種(はしゅさい)」でまいて育ってきた苗が無事に育つように神事で関係全員で祈願した。そして、斉田清祓(さいでんきよはらい)で清められた田んぼに、(小中学校の生徒や児童の)早乙女(さおとめ)早男(さおとこ)が和服で、手植え(田植え)する儀式である。なお、現在では、ほぼ100パーセントが田植え機械で「田植えlする。
2025年8月  青田祭  青田祭(あおた祭)とは、「これから心配される水不足や風水害を防ぎ 害虫の駆除など、稲を守って豊かな稔りを祈願する神事」のことである。
2025年10月  抜穂祭  抜穂祭(ぬきほさい、ぬいぼさい)とは、一般には「稲刈り」のことである。大昔は、今のように稲束を全部刈るのではなく、先の文字のように実った穂だけを「抜き取る」から、この名前が使われているのだろう。なお、現在の稲刈りは極一部を除き、全部がコンバインやバインダーなどの機械による「稲刈り」である。
025年10月  宮中献穀献納式  宮中献穀献納式(きゅうちゅう けんこく けんのうしき)とは、「皇居(こうきょ)でおこなわれる新嘗祭(しんじょう‐さい、にいなめさい)に収穫できた先のコメ(米)を献上する儀式である。このコメのことを、献上米(けんじょうまい)とも呼ぶ場合もある。
2025年11月  県知事・県神社庁への贈呈式

お田植え祭の神事、中央部は耕作者の川本ご夫妻<寿古町公民館、2025年6月14日>

宮中献穀奉賛会設立総会
 既に上記にも書いていますが、この宮中献穀事業は、大村市内で開催された分として、(2025年6月の上野調べ段階で)戦前や戦後頃の記録は調べきれていませんが、1975年頃(場所不明)、1995 (平成7)年に陰平町、2025年(令和7)年に寿古町で開催されています。そのことから、この項目も本来ならば、その3回分の「宮中献穀奉賛会設立総会」を記述すべきと思っています。

2025年2月26日、宮中献穀奉賛会設立総会
(大村市ホームページより複写)
 しかし、過去2回分が調べきれいないので、2025年(令和7)を先に書いていきます。なお、その文章(下記<>内の青色文)と写真は、大村市ホームページから引用、複写しています。
 
宮中献穀大村市奉賛会設立総会 (令和7年2月26日)
 宮中献穀大村市奉賛会設立総会を実施し、宮中献穀事業の主体となる「宮中献穀大村市奉賛会」が設立されました。設立総会では、会則や事業計画を中心に議論が進められました。>


・「1975年頃(場所不明)と、1995 (平成7)年に陰平町」の設立総会について

 (この項目は調査中。しばらく、お待ち下さい)



斉田清祓(さいでんきよはらい)播種祭(はしゅさい)


(この原稿は準備中。しばらく、お待ち下さい)


お田植え祭(おたうえさい)



 (この原稿は準備中。しばらく、お待ち下さい)


青田祭(あおたさい)


(この原稿は準備中。しばらく、お待ち下さい)


抜穂祭(ぬきほさい、ぬいぼさい)


(この原稿は準備中。しばらく、お待ち下さい)


宮中献穀献納式(きゅうちゅう けんこく けんのうしき)


(この原稿は準備中。しばらく、お待ち下さい)


県知事・県神社庁への贈呈式


(この原稿は準備中。しばらく、お待ち下さい)


(初回掲載日:2025年6月27日、第2次掲載日:7月9日、第3次掲載日:7月14日、第4次掲載日: 月 日、第5次掲載日: 月 日第6次掲載日: 月 日第7次掲載日: 月 日、第8次掲載日: 月 日
参考資料(史料) 大村藩領絵図 大村郷村記
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