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福重小学校・郷土史クラブ、石走のこふん(古墳 )前 |
福重小学校・郷土史クラブ(福重町の石仏見学)
日時:2018年11月6日14時55分〜15時45分
場所:福重町(石走)での石仏見学
出席:全体で13名(児童は10名、先生2名) (上野が案内役と説明担当)
主な内容:福重町(石走)の石仏
今回の見学も天気が良かったです。下記(かき)は、福重町(石走)の石仏を見学した概要(がいよう)です。内容としては、配布資料(はいふしりょう)も参考(さんこう)にしながら、実物の石仏見学や説明が主でした。
あと、見学場所(けんがくばしょ)は、主に福重町、石走にある民家の敷地内(しきちない)でした。ここに、こふんあと(古墳跡)があります。その中に、せんこくせきぶつ(線刻石仏)1体、たんたいぶつ(単体仏)4体があります。なお、今回、小学校から直線で約200m行った所にあるので、全員歩いて行きました。
<福重町、石走のみんか(民家)にある石仏について>
1)石走のせんこくせきぶつ(線刻石仏)
この石仏は、こふん(古墳)内のおく(奥)のかべいし(壁石)をりよう(利用)して、ほられた(彫られた)ものです。太いせん(線)も、ほそい線も、きんいつ(均一)にきれいにほられています。
石仏の大きさは、次のとおりです。
・石全体の高さ100cm、横幅(よこはば)115cm
・仏の高さ95cm、横幅(よこはば)75cm
この石仏には、体のまわりに「光のわ」(こうはい=光背)があるのが、とくちょう(とくちょう)です。にたような石仏が福重には13体ありますが、この「光のわ」があるのは、3体だけです。
この左の石には、しっぱいしたか、とちゅうでやめた線がいちぶほられています。
2)石走のたんたいぶつ(単体仏)その1、その2、その3、その4
前に4体ならんでいるのが、たんたいぶつ(単体仏)です、左から順に、石走のたんたいぶつ(単体仏)「その1」「その2」「その3」「その4」です。
とくに、古いのが、「その2」と、「その4」です。この2体は、約900年前ころに、つくられました。そして、この石は、かっせき(滑石)で、にしそのぎはんとう(西彼杵半島)の石と思われます。かこう(加工)しやすい良い石です。(下記の写真は、4体ならんでいるのが良く分かります。くわしくはリンク先のページを見てください)
この石走のたんたいぶつ(単体仏)は、レリーフタイプの石仏なので、すがたかたち(姿形)が分かりやすいとおもう。
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石仏や古墳を見学中 |
ここでクイズ
Q1:その2は何という石か?
A1:かっせき(滑石)だ。 <せいかい(正解)! 良くおぼえたね>
Q2:大村の石ではない、どこでとれた石か?
A2:西彼杵(にしそのぎ)だ。 <せいかい(正解)! この石は、大村の石にくらべてなめらかで、仏を作りやすい石である>
・質疑応答(しつぎおうとう)
Q:「単体仏その3」は、半分しかないが、そのりゆう(理由)は?
A:むかし(昔)、せんごくじだい(戦国時代)にキリシタンがこわしたかもしれないが、よく分かっていない。
Q:「単体仏その4」は、どこが、かお(顔)か?
A:中央部(ちゅうおうぶ)が、かお(顔)だが、こわれてしまって見えない。あたま(頭)の上もこわれている。
Q:「せんこくせきぶつ(線刻石仏)」の体のまわりにある線(せん)は何か?
A:光のわで、「こうはい(光背)」という。福重にある13体のうち、これも入れて3体しかない。
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福重小学校に帰って来て、最後(さいご)に児童代表から、「上野さんには、今日も教えて頂き、ありがとうございました」との感謝(かんしゃ)の言葉がありました。私の方こそ、良く聞いてもらって感謝(かんしゃ)いたします。。報告書の作成などを楽しみにしています。出席(しゅっせき)された皆様(みなさま)、おつかれさまでした。
<上野の感想>
今回、児童が石仏を見たのは、前回の10月16日実施の「弥勒寺町にある石仏見学」に続いて2回目です。前回、見学した時の内容や資料も頭に入り、その後も勉強しているので、大人顔負けの感想や質問もありました。今回も古い石仏を実感できたのは良かったと思います。
<次回の福重小・郷土史クラブは、12月11日の予定定>
<主な内容の関係ページのリンク先> ・「CG石仏写真(もくじページ)」 、 「仏の里・福重(もくじページ)」
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