福重小学校・郷土史クラブ(弥勒寺町の石仏見学)
日時:2018年10月16日14時55分〜15時45分
場所:弥勒寺町での見学
出席:全体で14名(児童は10名、先生2名、大村市文化振興課1名) (上野が案内役と説明担当)
主な内容:弥勒寺町の石仏
下記(かき)は、今回、弥勒寺町(みろくじまち)の石仏を見学した概要(がいよう)です。内容としては、配布資料(はいふしりょう)、史跡説明板(しせきせつめいばん)も参考(さんこう)にしながら、実物の石仏見学や説明が主でした。
あと、見学場所(けんがくばしょ)は、主に弥勒寺公民館周辺と、その近くにある石堂屋敷(せきどうやしき)とよばれている所(ところ)でした。なお、今回、小学校と見学場所との往復(おうふく)は、大村市のマイクロバスでした。
<弥勒寺公民館(みろくじ こうみんかん)>
1)せんこく ふどうみょうおう ぞう(線刻不道明王像)
石に線(せん)でほられた不動明王(ふどうみょうおう)としては、長崎県内(ながさきけんない)で、いちばん美しいといわれている。石全体(いしぜんたい)の大きさは、高さ168cm、横幅(よこはば)78cm。 鎌倉時代(かまくらじだい)の初期(しょき)か中期(ちゅうき)につくられた。(くわしい内容は、上記のリンク先から見てください)
片目(かため)は、かっと見ひらき、もう一方はとじている。ふどうみょうおうは、全国でも人気のある仏像(ぶつぞう)である。人をたすけてくださるともいわれている。
ここでクイズ
Q:「ふどうみょうおう」の右手にもっているものは何か?
A:「刀(かたな)」だ。<正解(せいかい)>
Q:左手にもっているものは何か?
A:「タオル」だ。<その答えは、まちがい。タオルではなくて、しばる縄(なわ)をもっている>
2)ばとう かんのん(馬頭観音)
大きさは高さ51cm、横幅(よこはば)25cm。 明治20(1887)年に弥勒寺町の人がつくった。本体のひたいに馬(うま)のマークがついている。馬の神様(かみさま)でもある。(くわしい内容は、上記のリンク先から見てください)
馬(うま)は今では、あまり見かけないが、当時(とうじ)は、トラックやトラクターみたいにして活躍(かつやく)していた。だから、大事(だいじ)にされていた。
3)さんたいぶつ(三体仏)
この三体仏は、江戸時代(えどじだい)につくられたものであろう。石全体の大きさは高さ34cm、横幅(よこはば)35cm。(くわしい内容は、上記のリンク先から見てください)
ここでクイズ
Q:なぜ、町の名前が「弥勒寺町(みろくじまち)」というのだろうか?
A:「弥勒寺」というお寺があったからだ。<正解(せいかい)である>
弥勒寺のお寺は、公民館の東側(ひがしがわ)の2枚の田んぼのところにあったといわれている。そこに元は一本の木が生えて目印(めじるし)になっていたが、切られて道においてあった。この「弥勒寺」は、大村では大きい寺だった。
4)かみはちりゅう の せんこくせきぶつ(上八龍の線刻石仏)
石全体の大きさは、高さ175cm、横幅312cmで、福重地区最大の石仏である。重さは2トンある。ただし、なんという仏像(ぶつぞう)なのか、専門家(せんもんか)でも分かっていない謎(なぞ)の石仏である。とにかく、まだ、よく分かっていない石仏である。(くわしい内容は、上記のリンク先から見てください)
<石堂屋敷(せきどう やしき)>
1)かっせきせい の へいあんぶつ(滑石製の平安仏)
ここには、「かっせきせいのへいあんぶつ(滑石製の平安仏)」が、4体ある(右側写真のA、B、C、Dを見てください)
A、B、Cの大きさは、高さ22cm〜29cm、横幅16cm〜18cmである。 Dの大きさは、 高さ19cm、横幅17cmである。(くわしい内容は、上記のリンク先から見てください)
この石は、大村の石ではなく、西彼杵半島(にしそのぎはんとう)の石であろう。 ここで、児童(じどう)が手にもった感想(かんそうとして、「なめらかな石だあ」「つやつやしている」などがあった。
2)せんこく せきぶつ(線刻石仏)A〜I
ここには、「せんこく せきぶつ(線刻石仏)A〜I」が、9体ある。線(せん)で、ほられた(彫られた)石仏なので、分かりにくいと思う。
DとEの石仏は、一つの石に2体ほられていて、めずらしい。福重では、この石だけである。ほかの石仏も、ほられた線(せん)が分かりにくいが、みなさんもさがしてみよう。(くわしい内容は、上記の写真下側のリンク先から見てください)
3)ぶっとう(仏頭)その1、その2、その3
この「ぶっとう(仏頭)」は、大村の石にレリーフみたいにつくられたものである。そのため、石仏の中では、分かりやすいと思う。
その1の大きさは、高さ90cm、横幅80cm。
その2の大きさは、高さ90cm、横幅85cm。
その3の大きさは、高さ100cm、横幅130cm。
その1は、完成しているが、その2と、その3は、未完成とおもわれる。ただし、目(め)や鼻(はな)などは、良く見ると、彫り(ほり)かけた細い(ほそい)線(せん)が見える。 その2のある場所は、この石堂屋敷(せきどうやしき)で、いちばん高い、良い場所(ばしょ)にあり、なぜ、ここにあるのかも良く分かっていない。(くわしい内容は、上記のリンク先から見てください)
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福重小学校に帰って来て、最後(さいご)に児童代表から、「上野さんには、石仏のことについて教えて頂き、ありがとうございました」との感謝(かんしゃ)の言葉がありました。私の方こそ、良く聞いてもらって感謝(かんしゃ)いたします。。出席(しゅっせき)された皆様(みなさま)、おつかれさまでした。
<上野の感想>
今回、児童が教室から出て、写真ではなく弥勒寺町にある実物を見て、さらに「滑石製の平安仏D」などは直接、手で触って、古い石仏を実感できたのは良かったと思います。
<次回の福重小・郷土史クラブは、11月 日で、福重町にある石仏の見学(けんがく)予定>
<主な内容の関係ページのリンク先> ・「CG石仏写真(もくじページ)」 、 「仏の里・福重(もくじページ)」
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