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石堂屋敷の線刻石仏D(CG写真)
石堂屋敷の線刻石仏D(CG写真)

石堂屋敷の線刻石仏D(石の写真)



(1)石仏名称  石堂屋敷の線刻石仏D(右側の上写真は線刻模様の一部分。同じく下写真は石の全景写真で向かって左下側に線刻石仏Dはある)
(2)所在地  大村市弥勒寺町、(個人所有地)
(3)石全体の大きさ  高さは約160cm、横幅は約170cm
(4)仏様(線刻模様)の大きさ  高さ約82cm、横幅は約46cm
(5)制作年代  諸説あるが正確には不明(中世時代との説もある)
(6)主な特徴  納衣(のうえ)の下で拱手(きょうしゅ)した形(注)
(7)特徴点の補足  ・光背(こうはい)の模様線はない。 ・蓮華座(れんげざ)の模様線はない。
感想、その他  この石堂屋敷の線刻石仏Dは、大きな自然石に、二体彫ってある内の一体である。もう一体は石堂屋敷の線刻石仏Eである。線刻石仏Dの方が石に向かって左下側、線刻石仏Eが右上側になる。同じ石に二体の線刻石仏があるのは、福重地区ではこの二体だけであり、その意味では珍しい。線刻石仏Dと線刻石仏Eとは、大きさが違っていて、高さは線刻石仏Dが高い。

 頭部の白毫(びゃくごう)<国語辞典の大辞泉より、白毫=仏の三十二相の一つ。眉間(みけん)にあって光明を放つという長く白い巻き毛。仏像では水晶などをはめ込んだり浮き彫りにしたりして表す。眉間白毫相>の形状が、他の線刻石仏より大きい。

 この大きな白毫は、元々この自然石に空いていた穴を利用したものと思われる。この推測が正しければ、この線刻石仏Dは、最初から線刻模様の、特に白毫の位置決めをここにして彫りかけたものとも想像される。

 全体の線刻模様の特徴は、シンプルであり、首から腹部にかけて、ほんの少し長いような感じはする。腹部から下側の模様は、本来ならまだまだあるが、石の形状からして、この位置で線刻するのを止めたのかもしれない。

<補足>この石堂屋敷の線刻石仏Dのある場所は、石堂屋敷の入口から左側に少し登った所にある。この石は、他の石に比べて石堂屋敷では大きい方である。なお、下記の(注)にも書いているが、ここの線刻石仏の九体は、全部同じ線刻模様の形状である。

((注):納衣(のうえ)は粗末な衣類のことでボロ布で作った僧侶用の袈裟である。拱手(きょうしゅ)は中国式敬礼。「納衣の下で拱手した姿」は最上段のCG写真でも分かる通り、衣の下で両手で拝んでいる格好のことである。この姿が仏の何と言う種類か、2015年現在で専門家でも分かっていない。これを私達福重郷土史同好会では「福重の石仏 最大の謎」とも呼んでいる。大村市福重地区には同種の線刻石仏が合計13体ある。この件は、さらに継続、調査中である。

下記は関係ページ
『仏の里 福重』の石堂屋敷の線刻石仏D
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