<補足>この石堂屋敷の線刻石仏Dのある場所は、石堂屋敷の入口から右側に5メートルくらい登り、そこから右方向へ3メートル行った所にある。上表には、「胸部分より下部は地面に埋まっている」と書いているが、頭部は露出しているし、線刻模様も視認できる。
既に掲載中の『石堂屋敷の線刻石仏B』や今後掲載予定の『石堂屋敷の線刻石仏I』と同じように、見方や見ようによっては肩の線が二重線に見えなくもないが、この石仏に関しては現時点ではそのラインから外している。
(注):納衣(のうえ)は粗末な衣類のことでボロ布で作った僧侶用の袈裟である。拱手(きょうしゅ)は中国式敬礼。「納衣の下で拱手した姿」は最上段のCG写真でも分かる通り、衣の下で両手で拝んでいる格好のことである。この姿が仏の何と言う種類か、2015年現在で専門家でも分かっていない。これを私達福重郷土史同好会では「福重の石仏 最大の謎」とも呼んでいる。大村市福重地区には同種の線刻石仏が合計13体ある。この件は、さらに継続、調査中である。
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