<補足>以前、この上八龍の線刻石仏は、長崎自動車道の側道横、田んぼの土手に置いてあったが、元々の場所はここではなく、ここから70m〜100mくらい離れた場所にあった。
トラクターで耕作できるように田んぼを基盤(圃場)整備した時に、高速道路(長崎自動車道の下り線近くの田んぼの土手)に運ばれた。(右側写真は田んぼの土手にあった当時のもの。上側が田んぼ、手前側に高速道路がある)
そして、2014年3月26日、福重地区の地域起こし団体と弥勒寺町内会の共同事業で、現在は弥勒寺公民館東側、熊野権現の境内へ移設・安置されている。
(注):納衣(のうえ)は粗末な衣類のことでボロ布で作った僧侶用の袈裟である。拱手(きょうしゅ)は中国式敬礼。「納衣の下で拱手した姿」は最上段のCG写真でも分かる通り、衣の下で両手で拝んでいる格好のことである。この姿が仏の何と言う種類か2015年現在で専門家でも分かっていない。これを私達福重郷土史同好会では「福重の石仏 最大の謎」とも呼んでいる。大村市福重地区には同種の線刻石仏が合計13体ある。この件は、さらに継続、調査中である。
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