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福重郷土史同好会
2007年の活動報告(10)

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今富城址の全景(皆同町)
第10回福重郷土史同好会・例会
日時:2007年9月3日19時30分〜22時15分
場所:増元さん宅  参加者:6名
1)報告
(1)8月8日今富城址発掘調査の見学報告(別紙、報告書参照)
(2)9月1日付け西日本新聞報道(今富城址の発掘関係)
(3)今までの今富城址及び高層アンテナ計画の経過概要
(4)今富城址の歴史関係の資料及び説明

2)今富城址の歴史(概要)
 築城時期について、諸説ある。当時の城の規模は高さ11m、東西4436m、南北110mである。南側に郡川、北の方は深田で北方からの攻撃への備えとして、重要な位置に築かれた。また、ここには大村純前の墓所があったとされている。

 この城から大村純忠は『鳥越・伊理宇の合戦(とりごえ・いりゅうのかっせん)』(場所は現在大村市今富町から立福寺町の境付近。今富城から直線で約400メートルの距離にある)があったとき、この城から出陣したと言われている。

 このように戦国時代に今富城は、寿古町の好武城とともに重要な役割を果たした。大村純忠が1564年に三城城(現在の忠霊塔)に築城して移り、戦国期を過ぎると2城とも廃城となった。

 その後、庄屋屋敷や農民の居住地となった。なお、今富城址の姿は現在は大きく変わっている。明治30年の鉄道工事で城址の土砂が大量に削り取られ、特に、南側がひどく削られた。

 戦時中は、福重砲台が設置され、空襲も激しく防空壕では犠牲者も出て戦時中の遺跡としても、この地は意味がある。

今富城址、写真中央が横堀(空堀)の遺構

3)今富城址の発掘の状況
 福重郷土史同好会として、8月10日朝に見学に行った。この見学報告は、前回の活動報告書を参照。発掘された横堀(空堀)の大まかなまとめは次の<> 内の通り。

  2007年8月に見つかった今富城址の堀の遺構は横堀(空堀)という種類である。このような堀は、戦国時代後半期に造成されたものが多い。今回の堀も、おそらく戦国末期(大村純忠の前後頃)が佐賀側(竜造寺や後藤など)に対して防御を強化したものであろう。

4)史跡保存の要望書提出へ
 大村市長宛てに『史跡・文化財の保護保存について』の要望書(別紙参照)』を提出していく。今回の案文を改訂して早期に提出及び要望していく。(補足:この件、9月7日、大村市長へ直接手渡すことになった)

5)沖田町の史跡見学
日時:9月29日13時、沖田町公民館へ集合。その後出発。

6)次回の例会
日時:10月10日19時30分〜  場所:住民センター・中会議室  内容:今後の計画など

(報告書は、以上)   『今富城址』紹介のページは、ここからご覧下さい。

掲載日:2007年9月7日
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