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福重郷土史同好会
2017年の活動報告(9) |
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鈴田小学校での郷土史講話(概要報告) 「地域学習」
日時:2017年10月30日09時20分〜11時00分 |
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・下級生に教えることは良いことで、すばらしいこと 皆(みな)さんは、下級生(かきゅうせい)におしえるために、今回(こんかい)しらべているときいた。人へ、おしえることは自分も勉強(べんきょう)しないと、おしえられないし、たいへん良いことで、すばらしいことだとおもう。そして、自分が住んでいる所を少しでも知っているということは、大人になって何かためになるとおもう。ぜひ、がんばってほしい。
・史跡(しせき)とは |
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いつできたか、分からない。ただし、江戸時代 (えどじだい)の初期(しょき)と言われている。石のほこらのまんなかに、「文政」(ぶんせい)九年」の文字(もじ)がある。西暦(せいれき) 1826年に、このほこらは、たてられた。 鈴田の名前のきっかけ=田んぼから出てきた鈴のはなし ・地主大明神(ちゅうずだいみょうじん)近くの田んぼから鈴(すす)が出てきた。それを、きっかけに、それまでの今里村(いまぞとむら)から、鈴田村(すずたむら)にかわった。 ・鈴(すず)の意味(いみ)=清水(しみず)、わき水---豊か(ゆたか)な水のある水田(すいでん)---コメなどがたくさんとれるところ <質疑応答(しつぎおうとう)> Q1:だれが、鈴(すず)を見つけたのか? A1:記録(きろくが)がないので正確(せいかく)には分からない。たぶん、昔(むかし)、農家(のうか)の人が、地主大明神近くのたんぼをほっていた時に、みつけたのではないかとおもう。そこから、「鈴が見つかった田んぼ」、「鈴田」になったとおもわれる。 Q2:鳥居(とりい)は、あったのか? A2:折れた鳥居の柱(はしら)が、今も2本のこっているので、江戸時代(えどじだい)には、鳥居はあった。 <地主大明神の詳細は、ここから参照> |
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この鬼の石の場所(ばしょ)は、小川内町の墓(はか)から直線(ちょくせん)で西へ200メートルくらい行った畑の脇(わき)である。石の大きさは、高さ約4.5m、横幅(よこはば)約8mくらいある大きな石である。 この鬼の石については、「鈴田小学校100周年記念誌」の114ページに書いてある。それによれば、おもに次のとおりである。 鬼(おに)がフンドシ(したぎ)に石をのせて、鈴田の谷(たに)をわたっていたところ、ポロリとおとしてしまったので、「鬼の石」とよばれてきた。 みなさんも、鬼の石に先生と行かれた時に、巻尺(まきじゃく)で測って(はかって)みてほしい。そうすれば、良く分かると思う。 <質疑応答(しつぎおうとう)> Q1:だれが見つけたのか? A1:記録(きろくが)がないので正確(せいかく)には分からない。たぶん、何万年前という古くからあるし、さらには大変(たいへん)目立つ所にあるので、大昔から見つかっていたと思う |
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上野の感想 鈴田小学校は、かなり以前から鈴田地区の郷土史や行事などにも取り組んでおられます。上野がこれまで、お会いしました先生方からは、異口同音に「児童に郷土の美しい自然や豊かな歴史を学ぶことによって住んでいる地域に関心持ってもらいたい」などと話されています。今回の地域学習も、その一環だと私は思っています。 今回、私が講話した2項目(地主大明神、鬼の石)は、鈴田の史跡では有名で、児童からも「見たことある」とか、「知っている」などとの返事もあり、話しやすかったです。また、後日、「下級生に紙芝居などで見せる」とのことですから、そのようなことも楽しみでもあります。あと、上野は、今回で2年連続講話していますが、鈴田小学校の児童は、改めて素直で真面目だと実感しました。 最後に、今回の「地域学習」(郷土史講話)に出席された皆様、お疲れ様でした。 (以上) |