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福重郷土史同好会
2018年の活動報告(7)

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鈴田小学校での地域学習<郷土史講話>(概要報告)
全体会、校長先生のお話し中 「鬼の石」グループで討論中
鈴田小学校での地域学習<郷土史講話>(概要報告)
「地主大明神」グループの児童(左端側は上野)

日時:2018年11月1日10時20分〜12時00分
場所:鈴田小学校
参加
6年生全員で31名、先生4名、講師3名=合計38名---上野担当の「地主大明神」は5名と「鬼の石」は6名
概要:まず、講師(ゲストティーチャー)全員、校長室に集合しました。そして、他目室へ移動して全体会が開催され、今日の地域学習(鈴田の郷土史)を学ぶ6年生、学校の先生、講師全員が一堂に会しました。ここで、校長先生から講師の紹介を兼ねたお話がありました。また、児童代表からの挨拶、学習の流れなどの説明がありました。

 その後、各々のテーマごとの教室で、各講師から講話がありました。そのテーマ内容で、上野担当の2項目は、下記を参照願います。他の講師の方の受け持ち内容は、「鈴田牢」、「大神宮、長崎街道」、「専念寺、岸高城」の項目でした。

  上野は、下記の項目別に分けて、合計2回の講話(合計1時間くらい)をおこないました。
鈴田の史跡(しせき)2か所について
 1)地主大明神(ちゅうずだいみょうじん) 地主大明神の詳細は、ここから参照
 2)鬼の石
(おにのいし)

 下記の二つの事項は、各班共通した内容です。(念のため、このページの色分けは、見やすいようにしているだけで、特に意味はありません)

下級生に教えることは良いことで、すばらしいこと
 皆(みな)さんは、下級生(かきゅうせい)におしえるために、今回(こんかい)しらべているときいた。人へ、おしえることは自分も勉強(べんきょう)しないと、おしえられないし、たいへん良いことで、自信(じしん)もつき、すばらしいことだとおもう。ぜひ、がんばってほしい。

「地主大明神」グループへ講話中
「鬼の石」グループの児童(左端側は上野)

史跡(しせき)とは
 今日(きょう)は、鈴田の史跡(しせき)の話で、この言葉(ことば)が、たくさん出てくる。史跡(しせき)の国語辞典(こくごじてん)の解説(かいせつ)は、かえって難しい(むずかしい)ので、下記のことではないかとおもう。

1)史跡(しせき)とは、歴史(れきし)のあった、ある場所(ばしょ)のこと。
 1,記録(きろく)に書いてあるところ。
 2,言い伝えがあるところ。
 など

2)しせき(史跡)をしらべる時に、大事(だいじ)なこと
 (1)名前(なまえ)、
 (2)年月日(ねんがっぴ)、
 (3)場所(ばしょ)、
 (4)目的(もくてき)、
 (5)だれが作ったのか

 (6)大きさ、広さ  など

 このようなことは、むずかしいことではない。たとえば自分におきかえてみて、(1)は自分の名前、(2)は自分の誕生日(たんじょうび)の年月日、(3)の場所は自分が現在住んでいる所、(4)の目的は、鈴田小学校で勉強することなどと同じである。

 ただし、全部(ぜんぶ)がぜんぶ、史跡(しせき)の記録(きろく)は、そろってあるわけではない。(上記のことが)分からないことが多い。また、このような項目(こうもく)は、下級生(かきゅうせい)から質問(しつもん)も、おおい内容(ないよう)かもしれない。また、分からないこともおおいので、その点は「分からない」と書いた方が、正しい。

 下記からは、上記の講話の主な内容と、各班から出た質問と、それに対する答えなどである。

地主大明神(ちゅうずだいみょうじん) 、陰平町
1、地主大明神(ちゅうずだいみょうじん)  場所(ばしょ):陰平町、鈴田川近く
 いつできたか、分からない。ただし、江戸時代 (えどじだい)の初期(しょき)と言われている。石のほこらのまんなかに、「文政」(ぶんせい)九年」の文字(もじ)がある。西暦(せいれき) 1826年に、このほこらは、たてられた。

 鈴田の名前のきっかけ=田んぼから出てきた鈴のはなし
地主大明神(ちゅうずだいみょうじん)近くの田んぼから鈴(すす)が出てきた。それを、きっかけに、それまでの今里村(いまぞとむら)から、鈴田村(すずたむら)にかわった。

・鈴(すず)の意味(いみ)
清水(しみず)わき水---豊か(ゆたか)な水のある水田(すいでん)---コメ(米)などがたくさんとれるところ

<質疑応答(しつぎおうとう)
 Q1:名前の由来は?
 Q2:何の神様がまつられているか?
 A1とA2:名前の「地主」でも分かりやすいが、「土地の神様」で、そこから名前も付いたと思う。

 Q3:なぜ、その場所なのか?
 A3:鈴田川の近くでもあるので、この土地周辺を水害(すいがい)などから守ってもらい、米(コメ)や野菜(やさい)の豊作(ほうさく)を、いのったのであろう。

 Q4:なぜ、鳥居(とりい)がないのか?
 A4:江戸時代(えどじだい)までは鳥居(とりい)はあったとおもう。今も、その柱石(はしらいし)のかけらがあるから。しかし、今から約150年前ほどまえの政府(せいふ)の命令(めいれい)で、こわされたのではないかとおもう。

 Q5:いつ頃つくられたものか?
 A5:江戸時代(えどじだい)の初期(しょき)ころといわれている。

 地主大明神の詳細は、ここから参照

鬼の石(おにのいし)、小川内町
2、鬼の石(おにのいし)  場所(ばしょ):小川内町、畑(はたけ)の脇(わき)
 この鬼の石の場所(ばしょ)は、小川内町の墓(はか)から直線(ちょくせん)で西へ200メートルくらい行った畑の脇(わき)である。石の大きさは、高さ約4.5m、横幅(よこはば)約8mくらいある大きな石である。

 この鬼の石については、「鈴田小学校100周年記念誌」の114ページに書いてある。それによれば、おもに次のとおりである。

 鬼(おに)がフンドシ(したぎ)に石をのせて、鈴田の谷(たに)をわたっていたところ、ポロリとおとしてしまったので、「鬼の石」とよばれてきた。

 みなさんも、鬼の石に先生と行かれた時に、巻尺(まきじゃく)で測って(はかって)みてほしい。そうすれば、良く分かると思う。

<質疑応答(しつぎおうとう)
 Q1:なぜ、大きな石がそこにあるのか?
 A2:(鈴田でのいいつたえは、話したとおりだが) ほんとうは、火山(かざん)がつくった石だろう。

 Q2:名前の由来(ゆらい)は?
 A2:「鬼(おに)・・・」という名前は、ほかにもいくつかある。それは、「巨大(きょだい)なもの」「とてもデッカイもの」などの頭(あたま)につけられている。この石も他の石とくらべ、「巨大(きょだい)」だったから、昔(むかし)の人から、そうよばれてきたのだろう。

 Q3:周り(まわり)の長さ・重さ・高さは?
 A3:鬼の石の大きさは、高さ約4.5m、横幅(よこはば)約8mくらい。みなさんも巻尺(まきじゃく)で、測って(はかって)みたら、どうだろうか。 重さは、分からない。

上野の感想
 私が、担当した鈴田小学校での地域学習は、今年で3年目となりました。児童自ら、住んでいる地域の史跡を調べ、それをまとめ、さらに下級生に(11月27日)現地で教えることは素晴らしいことだと思っています。さっそく、その準備のために各グループごとに、事前打ち合わせや担当の分担もしていました。

 そして、6年生が下級生へ教えることは、自信にもつながることでしょう。あと、今年は例年になく活発な発言や質問も目立っていました。このような地域学習は、自分の郷土に誇りを持てるだけでなく、将来含めて何かに役立つ場合もあります。私のささやかな経験ながら、多くの方との話題になっただけでなく、仕事でも実際に役立ってもきました。

 また、鈴田小学校での「地域学習」は、校長先生はじめ先生方が、いつも異口同音に話されている「児童に郷土の美しい自然や豊かな歴史を学ぶことによって住んでいる地域に関心持ってもらいたい」が、具体的に実践されている一環だと、私は思っています。

 最後に、今回の「地域学習」(郷土史講話)に出席された皆様、お疲れ様でした。

(以上)


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