大村空襲・戦災・戦争遺跡・記録など | 詩吟「二十一空廠殉職者の霊に捧ぐ」 |
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はじめに |
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詩文(歌詞)の筆文字版 下記の画像は、詩吟「二十一空廠殉職者の霊に捧ぐ」の詩文(歌詞)の筆文字版である。先の「」はじめ」にも書いているが、清書されたのは江崎富義氏(日本書道 西大村支部長)である。同氏の了解を得て、複写した縮小版を掲載している。なお、一部の文字が消えている、あるいは見えにくい点は、ご了承願いたい。 注:下段には、この筆文字を横書きに直した活字版と、詩文の口語訳を掲載予定である。 注:念のため下記の詩文(歌詞)は、上下で1行である。(上下1行づつ閲覧後、次の行を読んで頂きたい) |
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詩文の活字版 下記の青文字は、上記の筆文字の縦書きを横書きの活字に変えたものである。 二十一空廠殉職者の霊に奉ぐ (故人)山口岩市 国のため命捧げし大和魂 尊き勲 永久に伝えん 想いを回らせば夢の如し大東亜戦 東洋に誇る廿一空廠 四萬の廠員休日を知らず 日夜営々として増産に励む 時恰も甲申秋十月 敵機襲来雲霞の如し 爆弾炸裂百雷の如く 施設は一瞬にして潰滅に瀕す 骨砕け血は流れ大地を染め 殉職の精霊四百有余 学徒有り又挺身隊有り 嗚呼痛恨紅涙伝う 我等此の地に立ち悲愁溢れ 往時彷彿して眼前に在り 同志相計り冥福を祈り 大村湾頭 この碑を建つ |
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詩文の口語訳 下記点線内の青文字は、上記の詩吟(筆文字と活字版)の口語訳である。本来ならば詩吟の口語訳は、不要と思われる。それを知りつつ何故、口語訳をしているかについては、既に(冒頭の)「はじめに」に書いているので、参照願いたい。 なお、()内などの補足は、原文の主旨を変えない範囲内で上野が付けた。また、詩吟も歴史も素人の口語訳なので、あくまでも参考程度に閲覧願いたい。(下記右側写真は「第21航空廠 慰霊塔」) ----------<「二十一空廠殉職者の霊に奉ぐ」口語訳>----------・・・-----------・・・---------- 21航空廠(航空機製造工場)で空襲(くうしゅう)に遭い(あい)殉職(じゅんしょく)した者(仲間)の霊(れい)に捧(ささ)げる 国のために命を捧げた大和魂(やまとだましい)、尊く立派な仕事をしたことを永久に伝える 思い起こすと夢だったような大東亜戦争(だいとうあせん、太平洋戦争)で、(この当時の大村市内には)東洋に誇る21航空廠(航空機製造工場)もあった。 4万人(注意1)の廠員(工員)は休みを知らなように日夜、熱心に(飛行機)の増産に励(はげ)んでいた。 その時期は昭和19年(1944)10月のことだった。敵機(アメリカ軍機)が襲来(空襲)時は(まるで)雲霞(うんか=雲とかすみ)のように多数群がって来た。 爆弾(ばくだん)が爆発(ばくはつ)した時は、たくさんの雷(かみなり)が落ちたようだった。(工場の)施設(しせつ)は一瞬(またたくまに)に破壊されてしまった。 (人の)骨は砕けて血が流れて大地(地面)を染めて、その殉職者(じゅんしょくしゃ)の数は400名位(注意2)だった。 (男子)学生や(女子)挺身隊(ていしんたい)もいた。あーあ、なんと悲しい悔しいことか、血の涙が流れるほどだ。 我々は、この場所に立って(改めて)悲しみを深くして、当時のことをありありと思い起こして目の前にいる。 (生き残った)仲間同士で相談して、(殉職者の)冥福(めいふく)を祈って、大村湾の近くに、この(慰霊)碑を立てた。 ----------・・・-----------・・・----------・・・----------・・・----------・・・---------- (注意1): 廠員(工員)数は1945年の日米資料(一次資料で正規工員と男女学生も含まれている)では「28,772名」。念のため、大村市の史跡説明板や大村市のホームページ掲載の工員数「5万人」は大間違いである。この件について、上野は具体的に5年程前から大村市に改訂を要請しているが、間違い内容を直そうともされない事項である。また、同じく大村市の「東洋一の航空機製造工場」の表記も大間違いである。正しくは、21航空廠(航空機製造工場)での生産は、日本で10数番目の航空機しか製造していない。<なお、先の二つの間違い内容は、いずれ別途ページに詳細に掲載する予定である> (注意2):殉職者数は諸説あるが、「275名」の説(厚生省調べ)の説もある。一般には「約300名」説などが大村市内では多く語られている。 用語解説 上記の詩文には、かなり難しい語句もあるので、可能なかぎり、その用語解説を書いた。なお、各行の末尾に「(デジタル大辞泉より)」と記した以外は、上野の(補足)解説である。あと、当然のことながら何の文章も表面上だけではなく、もっと深い意味も込められている場合もあるので、下記の用語解説は、あくまでも参考程度に閲覧願いたい。 詩吟(しぎん)=読み下した漢詩に節をつけて吟じるもの。(デジタル大辞泉より) 二十一空廠=戦前、大村にあった「海軍第二十一航空廠」(主に航空機製造工場)の略称の一つである。同様に「21航空廠」とか「21空廠」も同様である。念のため、この工場を称して例えば「東洋一の航空機製造工場だった」とか「工員数は5万人いた」と、大村市教育委員会設置の史跡説版や、大村市ホームページなどに沢山書いてあるが、当時の一次資料からすれば大間違い記述であり、ご注意願う。 殉職(じゅんしょく)=職責を果たそうとして命を失うこと。(デジタル大辞泉より) 大東亜戦(だいとうあせん)= (「大東亜戦争」の省略) 太平洋戦争の日本側での当時の呼称。(デジタル大辞泉より) 東洋(とうよう)=アジア諸国の総称。特に、日本・中国・インドなどアジアの東部・南部をさす。(デジタル大辞泉より) 大和魂(やまとだましい)=日本民族固有の精神。勇敢で、潔いことが特徴とされる。天皇制国粋主義 思想、戦時中の軍国主義思想のもとで喧伝された。 (デジタル大辞泉より) 勲(いさお)=りっぱに仕事をなしとげたこと。名誉ある功績。いさおし。(デジタル大辞泉より) 廠員(しょういん)=航空廠の工員のこと。 時恰(ときはあたかも)=「ちょうどその時」の意味だが、この詩文の場合「空襲のあった年月日」という意味。 甲申(きのえさる、こうぼくのさる、こうしん)=干支 (えと)の一。きのえさる。(上野の補足、えとは60通りの組み合わせで1年づつ違っている。また、60年に一度戻ってくるので還暦ともいわれている。そして、古記録などには元号(和暦)と一緒にも使われている場合も多い。この詩文の場合は、単に「1944年=昭和19年」のことを別表現である。 敵機(てっき)=この詩文の場合、アメリカ軍機を指している。 襲来(しゅうらい)=激しい勢いでおそいかかってくること。来襲。(デジタル大辞泉より) 補足:この詩文の場合「空襲、攻撃」してきたことを指す。 雲霞(うんか)=1 雲と霞 (かすみ) 。2 大ぜいの人が群がり集まるたとえ。「雲霞のごとく押し寄せる」(デジタル大辞泉より) 補足:この詩文の場合、「アメリカ軍機が(大村の空いっぱいのような)多数で押し寄せてきたことの形容である。 炸裂(さくれつ)=着弾した砲弾などがはげしく爆発すること。(デジタル大辞泉より) 壊滅(かいめつ)=すっかりだめになってしまうこと。組織などが総崩れになること。(デジタル大辞泉より) 学徒(がくと)=(1は省略) 2 学生と生徒。(デジタル大辞泉より) 補足:主に男子学生のことである。 挺身隊(ていしんたい)=任務を遂行するために身を投げうって物事をする組織。(デジタル大辞泉より) 補足:主に女子学生のことである。 紅涙(こうるい)=1 血の涙。悲嘆にくれて流す涙をいう。2 女性の涙をたとえていう。(デジタル大辞泉より) 往時(おうじ)=過ぎ去った時。以前。(デジタル大辞泉より) 彷彿(ほうふつ)=1 ありありと想像すること。よく似ているものを見て、そのものを思い浮かべること。(デジタル大辞泉より) 冥福(めいふく)=死後の幸福。また、死後の幸福を祈って仏事を営むこと。みょうふく。(デジタル大辞泉より) 碑(ひ)=この場合、21航空廠の慰霊塔のことである。 |
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補足 (この原稿は、準備中。しばらく、お待ち下さい) |
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(初回掲載日:2021年11月11日、第二次掲載日:11月19日、第三次掲載日:12月7日、第四次掲載日:12月19日、第五次掲載日:12月20日、第六次掲載日: 月 日) |
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