1)大村館の紹介書籍について
この大村館について紹介されている書籍類で一番分かりやすいのは、『大村市の文化財』(大村市教育委員会、2012年3月19日発行)です。その本の120ページに地図、写真とともに紹介文章があります。その中で、地図と写真は、縮小版ですが、右画像の通りです。
・地図の概略説明
後の項目で紹介文は掲載しますが、地図中央部の赤い線の枠内が、大村館のあった所と言われています。その広さは、南北160m、東西90mと地図には書いてあります。
そして、その直ぐ右側(東側)を流れているのが、大上戸川(中流部は本堂川、上流部は山田川とも言う)です。(右側の地図内と限定して)この川に架かる橋が、上流部が長久寺橋、下流側が本堂川橋です。
その本堂川橋の右岸の下流側たもと付近にあるのが、「大村館跡」を示す標柱です。あと、水田郵便局も、この区域を探す場合の目印になるかもしれません。
この付近は、住宅などが多く、戦国時代だけでなく、江戸時代の雰囲気もとどめていないと思われます。
・「大村市の文化財(本)」記述の大村館紹介文
右側1番目画像と同じ『大村市の文化財』(大村市教育委員会、2012年3月19日発行)の120ページ下段には、大村館跡について次の<>内が記述されています。なお、ホームページ上、平仮名など、一部原文と位置が違っていますが、その点はご容赦願います。
< この館(やかた)は「川端御館(かわばたおやかた)」ともいわれ、中世の大村家が、ふだん居住した所と 言われます。
大村家18代純忠も天文(てんぶん)7年(1538)6才の時、有馬家から純前の養 子として、この館に25年過ごしたといわれます。永禄(えいろく)7年(1564)三城築城とともに城へ移り住み、その後、この館は重臣に与えられ、江戸時代には武家屋敷として分けられています。
現在の館跡は、道路や鉄道ができ、またその周辺には民家が密集し、当時 の様子を見ることができません。ただ当時のことを示す絵図などが残されています。 それによると、上図のような長方形の当時の敷地が推定されます。 >
写真説明について
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2)大村藩領絵図について
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補足
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