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大村の城シリーズ 大村館(おおむらやかた)
記 述 項 目 
( 主 な 内 容 な ど ) 
(1)名称  大村館(おおむらやかた)
(2)別名  川端御館(かわばたおやかた)
(3)所在地  大村市乾馬場町
(4)築城年代  -
(5)形式・特徴  館、屋敷
(6)城主など  大村純忠など、歴代の大村氏、その後、家臣や武士の屋敷へ
(7)現状(遺構)  住宅地、JR大村線の線路、道路など
(8)歴史(大村郷村記、大村藩領絵図など)  (大村)郷村記
(9)土地や管理など  私有地、道路、JR大村線

(10)補足、感想など
  大村館は、江戸時代の(大村)郷村記や大村市教育委員会発行の『大村市の文化財』などには書いてある。ただし、 江戸時代に描かれた大村藩領絵図には、大村館もしくはその関係の文字はない。

 大村館は、一説によると大村純忠あるいは歴代の大村氏も居住したようだが、その後、家臣や武士の屋敷になったためか、詳細な記録が少ない。あと、この館跡の一部は、大村市教育委員会によって遺跡発掘作業もおこなわれた。この件については、他の遺跡発掘資料(報告書)の中にあるようだ。ただし、いずれにしても基礎的な史料(資料)類が少ないこともあり、詳細なことが分かっていない。

 以上のことから、このページは毎回のシリーズで紹介している(大村)郷村記や『大村市の文化財』などの引用・参照して書くことでおさめたい。なお、このページ掲載の写真、図などは、その項目ごとに出典を書いているので、必ず原本を参照願いたい。


1)大村館の紹介書籍について
 この大村館について紹介されている書籍類で一番分かりやすいのは、『大村市の文化財』(大村市教育委員会、2012年3月19日発行)です。その本の120ページに地図、写真とともに紹介文章があります。その中で、地図と写真は、縮小版ですが、右画像の通りです。

・地図の概略説明

 後の項目で紹介文は掲載しますが、地図中央部の赤い線の枠内が、大村館のあった所と言われています。その広さは、南北160m、東西90mと地図には書いてあります。

 そして、その直ぐ右側(東側)を流れているのが、大上戸川(中流部は本堂川、上流部は山田川とも言う)です。(右側の地図内と限定して)この川に架かる橋が、上流部が長久寺橋、下流側が本堂川橋です。

 その本堂川橋の右岸の下流側たもと付近にあるのが、「大村館跡」を示す標柱です。あと、水田郵便局も、この区域を探す場合の目印になるかもしれません。

 この付近は、住宅などが多く、戦国時代だけでなく、江戸時代の雰囲気もとどめていないと思われます。

・「大村市の文化財(本)」記述の大村館紹介文
 右側1番目画像と同じ『大村市の文化財』(大村市教育委員会、2012年3月19日発行)の120ページ下段には、大村館跡について次の<>内が記述されています。なお、ホームページ上、平仮名など、一部原文と位置が違っていますが、その点はご容赦願います。

  この館(やかた)は「川端御館(かわばたおやかた)」ともいわれ、中世の大村家が、ふだん居住した所と 言われます。

 大村家18代純忠も天文(てんぶん)7年(1538)6才の時、有馬家から純前の養 子として、この館に25年過ごしたといわれます。永禄(えいろく)7年(1564)三城築城とともに城へ移り住み、その後、この館は重臣に与えられ、江戸時代には武家屋敷として分けられています。

 現在の館跡は、道路や鉄道ができ、またその周辺には民家が密集し、当時 の様子を見ることができません。ただ当時のことを示す絵図などが残されています。 それによると、上図のような長方形の当時の敷地が推定されます。  

写真説明について
 

(この原稿は、準備中。しばらく、お待ちください)


2)大村藩領絵図について
 


 (この原稿は、準備中。しばらく、お待ちください)



補足



(この原稿は、準備中。しばらく、お待ちください)



初回掲載日:2015年7月12日、第2次掲載日:2016年2月2日、第3次掲載日:2月 日第4次掲載日:2月 日第5次掲載日:月 日

参考文献、書籍一覧表 城関係用語集

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