大村の景色シリーズ | 全国百選の地 | 長崎街道・鈴田峠(歴史の道百選) |
項 目 |
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(1)名称 | 長崎街道・鈴田峠(ながさきかいどう すずたとうげ)歴史の道百選---(注1) | ||||||||
(2)別名 | - | ||||||||
(3)所在地 | 大村市 中里町 | ||||||||
(4)年代 | ここは古代の道でもあり、江戸時代には長崎街道として栄えた | ||||||||
(5)形式・特徴・規模など | 自然道で藩境石、籠立場跡などもある | ||||||||
(6)現状や周辺施設など |
諫早市・破籠井(わりごい)と、大村市・鈴田間のハイキングコースでもある | ||||||||
(7)歴史(大村郷村記、大村藩領絵図など) | 1996年11月1日、文化庁選定により歴史の道百選に選ばれた |
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(8)土地や管理など | - | ||||||||
(9)景色のグレード | ☆☆☆☆☆ 舗装していない自然道と周囲の木々含めて素晴らしい | ||||||||
(10)補足、感想など | (下記内容) | ||||||||
(注1):ここは、歴史の道百選の選定時の名称の項目では、次の<>内通りになっている。 <69 長崎街道―日見峠越・井樋尾峠越 長崎県 日見峠(長崎市)、井樋尾峠(多良見町〜諌早市)、破篭井〜鈴田(諌早市〜大村市)> つまり、歴史の道百選に選ばれた長崎街道は、県内各所にあり、その合計距離も長いが、このページでは、鈴田峠部分(大村市側)のみを紹介しているので、あしからず、ご了承願いたい。
大村藩と諫早藩の境界でもあった鈴田峠周辺には、数多くの藩境を示す石があった。現在も何十箇所も現存している。その中でも、特に有名なのが、旧・長崎街道脇で現在の大村市と諫早市の境に位置する藩境石(はんきょうせき、はんざかいいし)である。(写真1 参照) この藩境石は、別名「鬼の足跡石(おにのあしあといし)」、「弁慶の足形石(べんけいのあしがたいし)」、「硯石(すずりいし)」などとも呼ばれている。なぜ、このような呼称かと言うと、道から見ると左手前側に目測で長さ約60cm、幅約25cm、高さ約40cmの窪み(溝)がある。その形状のため地元で、この石を「鬼の足形石」、「弁慶の足形石」、「硯石」などと呼んできた。 ここから北側方向へ山道を行くと、風観岳(ふうかんだけ)山頂方向になる。この周辺の山林や山道脇には、藩境石(石塚、石垣)が何十か所と現存している。その中で、大村側は丸塚、諫早側は角塚である。その藩境石の中でも三角塚は最大(写真2参照)ある。
鈴田峠の平坦な旧・長崎街道の中間部には籠立場跡(かごたてばあと)がある。 <(写真3)と(写真4)を参照> この広さは、目測ながら縦横とも5m前後ある。この周辺は山の斜面になっているため、その敷地(平地)を確保するため斜面下側から自然石で石垣がつかれている。その高さは場所に違うが高い所は2m前後ある。 この籠立場は江戸時代、籠に乗った旅人たちが一旦、籠から降りて、休憩した所である。現在は周囲が森林になっているため木々しか見えないが、木が繁っていない時代は多良山系の山並みも見えていたそうである。なお、 (写真4)の右端側に白い板のように見えているのが、史跡説明板である。 なお、この籠立場跡を中心に |
(写真5) 鈴田峠の平坦部分の西側 (左端側は「旧長崎街道」の案内標柱) |
(写真6) 鈴田峠の自然道 (舗装されていない道は古代の道からの歴史を感じる) |
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鈴田峠(すずたとうげ)の概要紹介
さらに、晴れた日、高い木立の間から差し込む木漏れ日(こもれび)の輝く陽光は、舞台照明のライトより美しく、逆に、雨霧(あまぎり)や霞(かすみ)たなびく情景は、幻想的(げんそうてき)な、自然が醸し出す(かもしだす)夢幻(むげん)の世界のようにも見えます。 |
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