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大村の自然(山、川、滝、巨岩、石、洞窟、島、景観、その他)シリーズ  (陰平町の)礫岩(れきがん)) 

 (陰平町の)礫岩(れきがん)
(写真1) (陰平町の)礫岩説明板 (写真2) 礫岩の岩場
(写真3) 礫岩(単体) (写真4) 礫岩(拡大写真)
概要紹介
 
名称:
(陰平町の)礫岩(れきがん)    岩場の大きさ:(目測で)高さ・横幅とも10数メートル
 所在地:長崎県大村市陰平町、どんぎゅう山展望台への登り口の左側(大村湾側=西側)を下る

(写真5) 礫岩の岩場(左側は階段)
説明板の内容
 <下記の青文字は、現地に設置されている説明板内容である。(写真1参照) ただし、原文の趣旨を変えない範囲内でホームページ用に見やすくするため、改行や句読点などは一部変えている>

礫岩(れきがん) (「小石と砂が圧力を受けて固まった岩」)
 さざれ石とは、大石になる過程が違います。ここの石は、もともと川底にあったものが、一帯が隆起した際に一緒に押し上げられたものです。

簡単な説明:
 「さざれ石」は石灰岩が、長い年月をかけて雨水などで溶解して、周囲の小石を巻き込んで固まった小石の集合体です。ここの石は、圧力を受けて固まった礫岩です。でも、さざれ石に、よく似ています。

 大昔に、この辺に大きな川があり、そこには大きな魚が泳いでいたかもしれませんし、古代の人々がその魚を食べていたかもしれません。長い歴史の中で、山の上に残った石です。


 注1:名称について、2020年4月10日撮影時点では、当時の地元設置の説明板(看板)には、名称として「さざれ石」となっていた。しかし、2020年5月22日撮影では、上記(写真1)の通り、新たに「礫岩(れきがん)」と変わっていたので、このページも全面的に変更、改訂している。

 注2:この(陰平町の)礫岩は、目測ながら高さ・横幅とも10数メートルはあろうかと思える岩場・石などが連なった総称である。つまり、単体の石や岩場を指しているのではなく、この場所の全体が、「(陰平町の)礫岩」である。そのため、掲載している石は、一部の礫岩である。

 注3:この礫岩とは、広辞苑によると「堆積岩の一種。礫が河川あるいは浅海に堆積して、砂などとともに膠着こうちゃく・固結したもの」と解説してある。


(写真3) 礫岩(単体)
礫岩の一つを紹介
 先の注2にも「この(陰平町の)礫岩は、目測ながら高さ・横幅とも10数メートルはあろうかと思える岩場・石などが連なった総称である」と書いています。つまり、単体の石や岩場を指しているのではなく、この場所全体が、「(陰平町の)礫岩」と総称で呼ばれています。

 そのような中、私が見た目で、この周辺の中心部に、まるでデーンと構えて座っているようにも見える一つの大き石があります。それが、(写真3)の礫岩(単体)です。どんぎゅう山展望台手前の道路から階段状の下り坂が、2か所あります。そのどちらかでも下って行くと、合流地点に存在感のある石が見えてきます。

 この石は、(写真3)中央部(上下)でもお分かりの通り、人の手よりも大きいほどの石が密集して固まっています。礫岩の状況(注3参照)が、良く分かる石でもあります。また、見ようによっては、「さざれ石」に似ている感じがします。

  今回、巻尺計測しましたので、次に、この石の大きさを書きます。  ・大きさ高さ3m50cm、横幅4m50cm、周囲11m50cm

 また、機会あれば、今度は岩場全体の計測をしたいと考えています。その後、このページにも補足したいと考えています。

補足

  (この項目は準備中。しばらく、お待ちください)


(初回掲載日:2020年5月20日、第二次掲載日(全面改訂):5月24日、第三次掲載日:6月4日、第四次掲載日:6月11日、第五次掲載日・改定日:6月13日)
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