鬼火焚き(おにびたき)
まずは、鬼火焚きの言葉の意味からです。国語辞典の大辞泉によれば「鬼火焚き=九州地方で正月7日に行う火祭り。左義長(さぎちょう)。 」と書いてあります。
さらに、ここに出ている左義長の言葉を同じ辞典で調べると、「左義長=《もと、毬杖(ぎちょう)を三つ立てたところからという》小正月の火祭りの行事。宮中では、正月15日および18日に清涼殿の東庭で、青竹を束ねて立て、これに吉書(きっしょ)・扇子・短冊などを結びつけ、はやしたてながら焼いた。民間では、多く14日または15日に野外で門松などの新年の飾り物を集めて焼く。その火で焼いた餅(もち)や団子を食べると病気をしないとか、書き初めの紙をこの火にかざして高く舞い上がると書道が上達するという。どんど焼き。さいとやき。ほっけんぎょ」と解説されています。
つまり、鬼火焚きと言う呼び方自体は九州地方であっても、正月に飾り付けた物などを各家の門口で焼いたり、餅を焼いて食べる風習自体は広範に全国でおこなわれていることのようです。全国各地でおこなわれている似たような行事内容が、名前で各々の地域で違うと言うことでしょうか。
福重地区(長崎県大村市内)での鬼火焚き
私の実家は農家ですから当然、子どもの頃から正月行事の一つとして、この鬼火焚きはおこなっています。これから私が主に福重地区内で見たことなどを書いていきたいと思っています。まず、鬼火焚きは読んで字のごとく火を焚きますので広い場所でないとできません。農家の門口は、ほとんど広い庭の延長線上にあり、当然、自家用車とかトラクターなどが出入りする所ばかりです。
このように車も充分通行できる広さと、まわり何もないような個人宅なら充分、鬼火焚きはできます。しかし、門口が狭いような家庭では、家の近くの田畑でおこなわれています。町内のさらに班別(組別)単位で共同しておこなわれる場合も当然あります。下記で紹介している福重町だけでなく、例えば今富町の冷泉寺あるいは寿古町の正連寺など地域単位で畑の中でおこなわれている鬼火焚きも、けっこう規模の大きいものです。
ただし、どこの集落の鬼火焚きでも、内容については大体同じです。箇条書き風に書く必要もないのですが、あえて分かりやすいようにそのようにすると、ほぼ下記の通りと思われます。(念のため、何か決まりごととか、格式ばった順序があると言うものではなく、あくまでも下記は私の見た範囲内を書いているだけで地域によっては内容も順番も違います)
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福重町の鬼火焚き(福重町公民館敷地)
6m〜10m位の青竹が豪快に燃やされ音も迫力がある
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1,最初から、できるだけ勢い良く燃えるよう、年長者の言われる通りに準備段階から青竹、枯れ草や木などは組んでおく。
2,その上に正月の締め縄や飾りなどを載せる。
3,その年の年男年女が、燃えやすい紙や枯れ草などに点火する。
4,順に段々と大きな木や青竹などに火が広がっていくようにする。
5,そして、青竹が音をたてて破裂すれば、「鬼(おん)の骨!」などとの掛け声を掛ける。
6,ほぼ火が燃えるのと同時進行か、残り火で餅を焼いて食べる。大人達は酒を酌み交わす。
7,後片付け、火の始末をして終りとなる。
特に、(上記の5,の通り)鬼火焚きのハイライト言うべき時が、青竹の節と節の間に詰まっている空気が火炎の熱さで膨張し、”バーン”、”ボーン”と言うような大きな音で破裂し、その時ほぼ同時に家族や近所の人たち一斉に「鬼(おん)の骨!」と発声する瞬間です。
大きな声で叫ぶと、なんか気分までも爽快となり、参加者全員で声を出すので、何か連帯感と言いますか仲良くなったような雰囲気もしました。また、焼きたての餅を外でおおらかに食べますのでお腹も満足しますし、いつの時代も、なかなか楽しい正月行事の一つです。
鬼火焚きは、なぜするのか
各地域や各家庭でおこなわれている鬼火焚きの風習は、結論から先に書きますと、新年1年間の無病息災、家内安全を祈願するものと言われています。(当然、地域・集落単位でおこなわれる場合は、そこに住む人全員の願いを込めています) あと、なぜ”鬼火焚き”と言う呼び方をするのかについて、ある地域の古老は「人に災い、病気、悪霊をもたらす鬼を退散させ、代わりに健康や安全を祈願すると言う意味があるのではないかなあ」と、教えて下さいました。
この古老の発言含めて、これらの風習の伝承については、各家庭、各地域で若干の違いがありますが、「鬼火焚きの火に当たり、その火で焼いた餅を食べたら1年中が無病息災だ」みたいなことは、福重地区内のどこの所でも聞く話です。ある意味それは共通していますから、鬼火焚きそのもの目的も、このことにあるような気がします。
福重町の鬼火焚きは大村市内最大級の規模では
(注:2011年に私が見た内容です)福重町公民館は、(2010年11月現在)戸数54軒、人口179人です。福重町公民館の敷地は、711.3平方メートル(約215坪)もあり軽く30台位の駐車可能な広さがあります。この広い敷地(グラウンド)を利用しておこなわれているのが、1月恒例の鬼火焚きです。
この日、まず最初に今年(2011年)からは、餅つきもおこなわれました。福重小学校の子どもたちも大人の方に教えてもらいながら、代わるがわる杵を両手で持ち、向いあってついていました。 最初は息が、なかなか合わなかった子どもたちも、後では調子良くなり、みるみる内に餅がつき上がっていきました。子ども達や保育園の園児たちは、つき上がった餅を早速、美味しそうに食べていました。
次に、鬼火焚きの本番でした。数日前から準備されていた高さ6m強か、それ以上あるような青竹を中心に年末年始の飾り付けなどが、うず高く積まれていました。そこに、今年の年男年女が、点火し、みるみる内に燃え上っていきました。 火柱を上げ勢いよく弾ける様子は、豪快そのもので、竹が大きな音で破裂すれば、大人子ども一緒になって「鬼(おん)の骨!」などとの掛け声が何十回となくかかっていました。
(上野は正確に調べたことありませんが)この鬼火焚きの高さや大きさは、“大村市内で最大規模”ではないでしょうか。 なお、ご参考までに福重町の鬼火焚きは、以前なら各家庭でおこなわれていましたが、2001年からはずっと福重町内会、公民館、老人会などの共催で、この敷地で開催されています。