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大村の歳時記シリーズ よもぎ餅(ふつ餅)

よもぎ餅(よもぎもち)、大村弁「ふつ餅」
 今回の「よもぎ餅(ふつ餅)」について、作る季節も作り方も長崎県内、九州各県内でも、あるいは全国でも、そう大きくは変わらないと思われます。念のために、先に書いておきますが、冒頭から大村弁で「ふつ餅」と書いています。

よもぎ餅 (大村弁「ふつ餅」)
 ただし、この方言は、九州各県どこも同じような言い方のようです。特に、大村弁オリジナルではなく、ただ単に、大村市内では「よもぎ餅」と言うよりは、年配者を中心に広い世代で「ふつ餅」と呼ばれているので、このページでも同様な紹介をしているだけです。

 よもぎについて、広辞苑には、次の「」内通りに解説してあります。よもぎ=キク科の多年草。山野に自生。高さ約1メートル。葉は羽状に分裂、裏面に白毛がある。秋、淡褐色で小形球形の頭状花を多数穂状につける。葉に香気があり、若葉を餅に入れ、成長した葉は灸きゅうの艾もぐさとする。モチグサ。繕草つくろいぐさ。蓬蒿ほうこう。」

 世界大百科事典内で「よもぎ餅」に言及してある部分は、次の「」内通りです。よもぎ餅=ヨモギの葉をつきこんだ餅。《?楚歳時記》によると,6世紀ごろの中国では3月3日にハハコグサの汁と蜜(みつ)を合わせ,それで粉を練ったものを疫病よけに食べる習俗があった。これが伝えられたのであろう,平安初期の日本でも3月3日の節供にはハハコグサ入りの餅をつくっていた。それがいつヨモギに変わったかは明らかでないが,三条西実隆は天文2年(1533)3月3日に〈蓬餅(よもぎもち)〉をもらったことを記録している。」

 上記の辞典からも、お分かりの通り、日本で「よもぎ餅」を食べるようになったのは、相当古くからあったことが分かります。また、「厄病よけ」の意味もあったのでしょう。あと、食べる時季ですが、当然、よもぎ(ふつ)の葉が必要ですので、その葉が芽吹いた頃からでしょう。そして、5月の端午の節句ころまで食べられるようです。ただし、地域差や季節差(温暖差)などによって、時期的な違いはあります。

よもぎ(ふつ)の葉
・材料のよもぎ(ふつ)の葉について
 私自身は、よもぎ(ふつ)餅を作ったことはありません。ただ、その主材料となるよもぎ(ふつ)の葉を祖母や母から言われ、子供の頃、姉たちと何回か摘みに行ったことはあります。毎春、3月の中旬過ぎ頃から、田んぼの畔道(あぜみち)か、畑の脇によもぎ(ふつ)の葉が生えていました。

 そして、当時言われていたのが、大村弁で「もろくった柔らかい新しかふつの葉ば取ってこんば」(共通語で「大きく繁った柔らかい新芽のヨモギの葉を取ってこい」)とのことでした。当然、その役目は、子どもの仕事でした。子供の目で見ても、新芽(若葉)で柔らかそうなふつの葉を摘み、そして大きい竹ザルいっぱい取っていました。

 そして、家の庭では祖母か母親が、使える部分を指で切りながら、さらに葉を選別していました。私にとって、もう60数年前のことですので記憶曖昧(きおくあいまい)ですが、たぶん葉の色や柔らかい部分を選別していたのでしょう。 そして、使えるものだけを井戸水を入れた桶(おけ)か、自宅脇にあった溜池(ためいけ)にザルごと、数時間さらしていたようでした。 (その後は、下記の「作り方」と重なりますので、この項目では省略します)

・作り方について


(この原稿は準備中。しばらく、お待ちください)



補足


(この原稿は準備中。しばらく、お待ちください)



初回掲載日:2018年3月23日、第二次掲載日:6月8日、第三次掲載日: 月 日、第四次掲載日: 月 日、第五次掲載日: 月 日

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