(史跡説明板)伊賀峰城跡
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名称:伊賀峰城跡 |
様式:説明板 |
場所:大村市溝陸町、伊賀峰城跡(夫婦岩の前) |
設置者:三浦地区史跡愛好会 |
設置年:(登山口の案内板と同年なら2004年度と思われる) |
GPS実測値:32度51分17.06秒 130度00分21.25秒 |
全体の大きさ:高さ約90cm、横幅約90cm |
(国土地理院)地図検索用ページ |
本体の大きさ:高さ約55cm、横幅約65cm |
グーグルアース用数値:32°51'17.20"N,130°00'22.00"E |
注:GPS実測値について、場所によっては若干の誤差がある。グーグルアースは航空写真上に表示するため、かなりの誤差が出るが、数値補正はしていない。(先の二つの事項は、あくまでも参考程度に、ご覧願いたい)
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伊賀峰城跡登山口の案内板 |
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伊賀峰城跡の史跡説明板(写真中央部、女夫石(めおといし)=夫婦石の前に白く見えている)<手前側や奥側は広い平地である>
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史跡説明板周辺の説明
伊賀峰城跡の史跡説明板がある場所(右側2番目写真参照)は、大村市溝陸町にある伊賀峰城址(標高115m)にあります。伊賀峰城の詳細は、先に掲載中の伊賀峰城紹介ページを参照願います。
ご参考までに、ここへ来る前の登山口横に、案内板(右側1番目写真参照)があります。その内容は、「平成16年度 大村市わたしたちの地域発見支援事業 伊賀峰城跡 三浦地区史跡愛好会」となっています。(この案内板設置年は先の文字通り、2004年度と思われます)
この伊賀峰城は、先のリンクページや(後の項目で掲載予定の)「史跡説明板の内容」にもある通り、近くの今村川(諫早領と大村領の境界)を挟んで、反対側にあった諫早領の真崎城と相対する城だったともいわれています。
この山は標高115mですから、そう高くないものの北東側(諫早側)や南西側(大村湾側)が、けっこう険しい感じに思えます。あと、伊賀峰の頂上部は、平地がけっこう広い所です。大村市内に山城跡は、いくつかありますが、これだけ頂上部の平地が広い所は、他にないと言えます。
この平地の、どこかに伊賀峰城の主郭(本丸)があったことは間違いないのですが、特定された場所の図示や文章は、史跡説明板などにはかいてないようです。ただ、普通に考えれば防御、見晴らし、建物の築き方などから、主郭(本丸)は、たぶんに標高の一番高い女夫石(めおといし)=夫婦石のある周辺の平地だったと推測されます。
この夫婦石は、右側2番目写真でもお分かりの通り、目測で高さ4m強、横幅4m近くもある大きいものですが、その前(西側)に今回紹介の史跡説明板はあります。
この説明板設置者は、三浦地区史跡愛好会の皆様です。この史跡愛好会は、説明板の設置だけでなく、伊賀峰城址の草刈などの保全、三浦地区史跡めぐりウオーク などのイベントも実施されているようです。私は、毎年取り組まれている史跡愛好会の諸活動に対し、感謝と敬意を表するものです。
史跡説明板の内容
三浦地区史跡愛好会によって設置された伊賀峰城跡の説明板(右側上から3番目写真参照)に書いてある文章は、下記< >内の通りです。iなお、ホームページ上、見やすくするために一部改行(空白行)などもしています。また、説明板左側にある縄張り図関係の文字は、省略します。
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伊賀峰城跡の史跡説明板(右側が史跡説明文、左側が伊賀峰城の縄張り図)
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伊賀峰城跡
この城は 周囲一キロメートル頂上の広さは東西二十四メートル
南北約八十四メートル(約二・○一平方メートル)で中央には昔から
夫婦岩と呼ばれている大きな二個の石があります。
頂上より南東側に長さ十五メートル 幅三・六メートル
深さ一・八メートルの空堀りがあった跡や、頂上近くに馬場と伝えられる
長さ九十メートル 幅五メートル余りの平地があります。ほとんど城跡らしい
遺構も見当たらず 築城者もいつ築かれたもわかっていません。
付近の古老に口伝えによれば ここから南方(注1)の真崎より攻めてくる
敵に備えて土地の豪族が築いたのだろうといわれています。この城の
南東の蓮蔵寺一帯は 中世時代に かなり栄えた部族がいたとみられます。
三浦地区史跡愛好会 >
(注1):伊賀峰城から真崎城を見ると「南方」の方角ではなく、ほぼ真東側に近い位置になる。
補足
(原稿準備中。しばらくお待ちください)
・詳細な関係ページ:大村の城シリーズ『伊賀峰城』
(初回掲載日:2013年12月1日、第2次掲載日:12月2日、第3次掲載日:12月3日)