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大村の史跡説明板・案内板シリーズ 黒丸遺跡

(史跡説明板)黒丸遺跡(くくろまる いせき
 名称:黒丸遺跡(くろまる いせき)  様式:説明板
 場所:大村市黒丸町  設置者:竹松地区地域活性化協議会
 設置年:明示なし(ただし以前の物は何十年も前からあった)  GPS実測値:32度57分18.77秒 129度56分22.94秒
 全体の大きさ:高さ171cm、横幅80cm  (国土地理院)地図検索用ページ地図は、こちらから。
 本体の大きさ:高さ63.6cm、横幅80cm  グーグルアース用数値:32°57'18.77"N,129°56'22.94"E
(写真1)  中央部は黒丸遺跡の史跡説明板 (大村市黒丸町、土台ははパイプ式)
 (写真2) 中央部の白板が黒丸遺跡の史跡説明板
<用語解説> 

史跡説明板写真周辺の説明
  この場所へ、大村市街地から行く場合、上記の「地図は、こちらから」をクリック」をして頂くと、国土地理院の地図が閲覧できる。

 また、車やバイクならば国道34号線を北へ走行して、長崎県立ろう学校の西側を目指す。その学校敷地西端側から、さらに西側方向70m位の所に黒土の畑が見えて来る。そして、道路脇に(写真1と2)の中央部にある白板の黒丸遺跡の史跡説明板が設置されている。

 なお、ご参考までに、この黒丸町は、郷土芸能の黒丸踊がある町としても有名だ。この説明板からは、かなり離れているが、その黒丸踊を教えた法養が祀られている法養堂<法養の碑(裏側碑文)>もある。あと、当然、畑の全部ではないが、美味しい黒田五寸(くろだごっすん )にんじんが栽培されているのも見る。

史跡説明板の内容
  (写真3)の黒丸遺跡史跡説明板の内容を転記したのが、下記の<>内の青文字である。原文は、写真の通り縦書きであるが、ホームページ用に横書きに変えている。なお,、下記文章は、見やすくするために、一部改行や送り仮名などを変えている。そのため、あくまでも参考程度に閲覧願いたい。上野の転記ミスもあるので、もしも、引用参照されるならば、必ず実物の史跡説明板からして頂きたい。

< 黒丸遺跡
 黒丸都市下水路工事現場の幅九メートル、長さ約四○○メートルの範囲にわたり、五十三年十一月から五十四年五月にかけて、県文化課の指導のもと、黒丸遺跡跡調査会の手によって、本格的な調査を実施した。 この一帯は、古代の条里遺構が認められる地域である。ここは郡川に関連した河川筋にあたり、標高六メートル以下の一番低い部分で川の蛇行跡が確認された。発掘された遺物としては、縄文時代晩期から古墳•中世•近世のものまで出土した。
 (写真3) 黒丸遺跡の史跡説明板(本体部)

 石器では石鏃(せきぞく)や石斧(いしおの)などで、土器は破片が大部分で、木器も若干見られる。中でも貴重なものとしては、歯の部分が失われていたが、結歯式竪櫛(たてくし)、発火具とも思われるような九箇所に穿孔(せんこう)のある木器、不完全であったが小さなかめ棺などである。大村湾沿岸で、縄文晩期の遺跡発見は特筆すべきものである。

 この発掘調査を契機として遺跡全体の調査が進み、黒丸町から沖田町、宮小路三丁目に広がる約百ヘクタールの範囲で、縄文時代から弥生時代、古墳時代、中世、近世にわたる重要な遺構や遺物が確認されている。

原文 大村市教育委員会
設置 竹松地区地域活性化協議会
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補足

 (この原稿は準備中。しばらく、お待ちください)

・関係ページ:「 」

(初回掲載日:2024年11月5日、第2次掲載日:1025年1月17日、第3次掲載日:1月28日、第4次掲載日: 月 日) 


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