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大村の史跡説明板・案内板シリーズ 長与専斎の旧宅

(史跡説明板)長与専斎の旧宅
 名称:長与専斎の旧宅  様式:説明板
 場所:久原二丁目長崎医療センター敷地内)   設置者:大村市教育委員会
 設置年:1997年3月(平成9年3月)  GPS実測値:32度53分48.52秒 129度58分19.90秒
 全体の大きさ:高さ170cm、横幅102cm  (国土地理院)地図検索用ページ地図は、こちらから。
 本体の大きさ:高さ60cm、横幅90cm  グーグルアース用数値:32°53'48.52"N,129°58'19.90"E
(写真1) 奥側が長与専斎の旧宅。中央部がその史跡説明板。右端側に長与専斎の銅像(この銅像は別ページで紹介予定)
(写真A 長与専斎の銅像
(この銅像は別ページで紹介予定) 
(写真B) 長与専斎の肖像写真
(出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」の「長与専斎」より

<用語解説>(下記の用語解説の出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」の「長与専斎」より)

長与専斎(ながよ せんさい)
 生没年:天保9年8月28日 〜 明治35年9月8日 (1838年10月16日 ~1902年9月8日)
 出身地:長崎県
 職業・身分:医師・薬剤師等
 別称:松香(しょうこう)
解説 : 医師・衛生行政家。父は肥前大村藩医。安政元(1854)年大坂の適塾に入門し、のち塾頭となる。万延元(1860)年長崎に赴き、ポンペについて蘭医学を学んだ。明治4(1871)年上京し、文部少丞となり岩倉遣欧使節団に随行して渡欧、西欧の医学教育を視察、調査。6年に帰国後、文部省医務局長。8年内務省衛生局の初代局長となる。司薬場の建設、医制の制定、防疫・検疫制度の導入など、わが国衛生行政の基礎を築いた。元老院議官、貴族院議員などを歴任。回想録『松香私志』(1902)がある。

史跡説明板写真周辺の説明
 この長与専斎の旧宅史跡説明板のある場所は、長崎医療センターの玄関方向に行く場合、2車線道路の左手(北側)方向にあります。さらに先の道路から5~10m位、病院敷地内に入った所に、この史跡説明板と、そのことを示す案内標柱(写真2を参照))も立っています。あと、この逆位置側(西側方向)には、職員用駐車場の入り口です。

写真中央部:長与専斎の旧宅の史跡案内標柱
左奥側は史跡説明板旧宅、右奥側は「長与専斎先生の銅像
 また、この長与専斎の旧宅の史跡説明板の場所から見れば、その旧宅は奥側(北側)、「長与専斎先生の銅像」は、右側(東側 )になり、いずれも5m位の位置にあります。

 (写真1、2参照)また、説明板旧宅銅像まわりには、木々も繁っていますので、野鳥や虫の鳴き声も聞こえています。あと、念のため、この史跡説明板内容は、「長与専斎の旧宅」という名称通り、説明板の奥にある建物(旧宅)紹介が書き出しとなっています。

 ただし、同氏の経歴功績などの内容も多く書いてあります。同氏の人物紹介は、この項目の前後にも書いていますので、その内容を参照願います。

史跡説明板の内容
 

 (この文章は、準備中。しばらく、お待ちください)



 
 

補足


 (この原稿は準備中。しばらく、お待ちください)



・詳細な関係ページ:「」

(初回掲載日:2024年5月31日、第2次掲載日:6月19日、第3次掲載日: 月 日、第4次掲載日: 月 日) 


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