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大村の史跡説明板・案内板シリーズ 鬼橋町水神淵の線刻河童

(史跡説明板)鬼橋町水神淵の線刻河童(おにばしまち すいじんふち の せんこく かっぱ)
 名称:鬼橋町水神淵の線刻河童  様式:説明板
 場所:鬼橋町(郡川の右岸)  設置者:大村市教育委員会
 設置年:2007年7月  GPS実測値:32度56分44.14秒 129度57分25.59秒
 全体の大きさ:高さ165cm、横幅102cm  国土地理院の地図  (国土地理院)地図検索用ページ
 本体の大きさ:高さ70cm、横幅90cm  グーグルアース用数値:32°56'44.16"N,129°57'25.59"E
(写真1) 中央部左側の大きな石は、水神ミズハノメと、その足元に2匹の河童の姿が線刻模様が彫られている。
中央部右側が大村市教育委員会設置の史跡説明板、さらにその右側が案内標柱

注1:上表の場所は郡川右岸にある。この史跡説明板などのある場所の右手前側に郡川の河川敷があり、草地の広場となっている。
注2:郡川左岸側の護岸道路脇にも、様々な案内板や河童の像などがある。
<用語解説>
・河童(かっぱ):(デジタル大辞泉より) 「1 水陸両生の想像上の動物。身の丈1メートル内外で、口先がとがり、頭上に皿とよばれるくぼみがあって少量の水 を蓄える。背中には甲羅がある。人や他の動物を水中に引き入れて生き血を吸い、尻から腸を抜くという。かわっぱ・河太郎・川子・河伯(かはく)、その他異名が多い。 2 水泳のうまい人。また、泳いでいる子供。 3 子供の髪形の一。髪を結ばず耳の辺りまで垂らして下げ、下を切り落としたもの。江戸時代には頭の頂上を丸く剃ったことからこの名がある。→御河童(おかっぱ) 4 《河童の好物であるというところから》すし屋などで、キュウリのこと。また、河童巻き。 5 《河童が人を引き込むというところから》」

・淵(えん、ふち):(デジタル大辞泉より) 「1 水を深くたたえている所。「海淵・深淵」 2 物事の出てくる根源。「淵源」 3 物の多く集まる所。「淵藪(えんそう)」」
・罔象女神(みつはのめのかみ)、ミズハノメ:(フリー百科事典の一部より)  「(前略)日本における代表的な水の神(水神)である。」
・水神(すいじん):(デジタル大辞泉より) 「水をつかさどる神。飲み水や田の水などを支配する神。水伯。」
線刻(せんこく):石などに線で刻まれた(彫られた)もの。大村市内の史跡では「線刻石仏」の模様線や文字を言う場合が多い。(一例 「線刻不動明王像」)

(写真2) 史跡説明版近くの広場奥にある河童の像
(写真3) 鬼橋町水神淵の線刻河童の史跡説明板(本体部)
 
(写真4) (上記のトリミング)河童2匹が水神の
女神様を支えている線刻模様 
 
郡川の鯉のぼり(2021年5月4日撮影)
 (大村市、鬼橋の上流約350m付近にある井堰の上

史跡説明板写真周辺の説明
 この史跡説明板のある町は、鬼橋町です。平地ばかりの竹松地区にあって、この町の葛城(県の果樹試験場などがある)は、多良山系から伸びる尾根の先端部近くながら標高40m強の所もあります。また、この近くには、葛城ため池(葛城堤)という大村市内では、野岳湖、池田湖に次ぐ位の大きなため池があります。このため池の郡川方向へ約30m行った所に、こんもりとした木立が見えています。この木立が目印にもなり、その川寄りの所に史跡説明板があります。

・鬼橋から約260m上流右岸側
 あと、郡川に架かる鬼橋から上流側に約260m行った右岸側が、今回の史跡説明板や河童伝説の場所(舞台)です。ただし、今回名称になっている水神淵も水神社も現在は、ありません。それは、水神淵の上流側約30mの所に井手(用水路)の取水用に造られた川幅一杯で頑丈な井関ができたので、広くて深かった水神淵が大小の石によって埋まったものと思われます。

  しかし、右岸の河川敷脇には、高さ約2m40cm 、横幅約2m90cm、周囲約7mの大きい自然石に、水神(女神様)を支えるような感じで2匹の河童が、動きある模様線で彫られています。

 この水神や河童の線刻模様が、いつの年代に彫られたのかまでは説明板には書いてありません。ここで、仮に江戸時代あるいは近代としても、郡川は何回となく反乱し水害を引き起こしていますが、この石は濁流にも負けず現在地にあります。そのようなことから、たぶん今後も現状のままと想像されます。

左岸側の護岸(堤防)道路
 史跡説明板と郡川を挟んで反対側つまり左岸側には、別の分かりやすい河童伝説の案内板説明板があり、さらの石造りの河童像もあります。また、この道路脇の春季には、菜の花や桜が咲き乱れ、風景が良い所です。 (右側列の郡川の鯉のぼり写真参照)あと、両岸をまたぐように鯉のぼりもあげられ、郡川の涼風を受けて泳ぐ様は、気持ち良くみえます。さらには、河童伝説にちなんで、イベントも開催されているようです。

史跡説明板の内容
  このページ(写真1)中央部奥と、(写真3)に写っています鬼橋町水神淵河童伝説の史跡説明板には、下記< >内の青色文章が書いてあります。

重要指定文化財
鬼橋町水神淵の線刻河童
 かつてこの場所には、昼でも暗く深い水神淵と呼ばれた淵がありました。この淵に、水神の使いとされる河童の伝承が伝わっています。淵には十数匹の河童たちがすんでいて、江戸時代に当地の役人だった渋江氏が行う水神祭に加わり、奉納相撲や神事の後の宴に参加したと伝えられています。渋江氏は、奈良時代の貴族・橘氏を祖とする古い家柄で、水神信仰はその時代から続くともいいます。

 いまここに残っている巨石には、水神・岡象女神(ミズハノメ。郷村記に十一面観音菩薩が本地と記す)と、その足元に二匹の河童の姿が刻まれています。

 河童は流れに上半身を出し、川面を進む水神を支えるように両手を上げています。江戸時代に荒瀬に住んだ一族が、毎年この場所で荒瀬、葛城、原ロ、九郎丸の住民とともに、生活・灌瀧用水の安定を祈りました。当地の先人たちが残した水神と河童たちは、いまでは郡川の自然を守る象徴として、地域の人々に大切にされています。
 平成年一九年七月
 大村市教育委員会


・補足
 
 (この原稿は、準備中。しばらく、お待ちください)


・関係ページ:

(初回掲載日:2024年2月21日、第二次掲載日:2月25日、、第三次掲載日:3月8日、第四次掲載日:3月10日、、第五次掲載日:3月14日)


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