史跡説明板の内容
(写真2)下部右側に白く写っています案内板3基の内、右側から1番目が古松宿休憩所跡の史跡説明板には、下記< >内の青色文章が書いてあります。その説明板を拡大したのが、(写真4)です。
|
(写真3) 古松宿休憩所跡の史跡説明板(本体のみ)
|
なお、(写真3)をご覧の通り、原文は縦書きですが、ホームページ用に横書きに直しています。また、原文は、そのまま生かしたいのですが、ホームページの制約上や表現上から見やすくするため、改行や送り仮名などは、一部変えている場合もあります。
< 古松(こまつ)宿休憩所跡
享和二年(一八〇二)、福岡藩支藩の秋月藩主黒田長好(ながのよ)は、本藩の代理として長崎警備を命じられました。
この地を通行したとき、初めて安次郎という者の家で小休憩をしました。その後、諸大名や幕府の役人が小休憩のためによく利用するようになったようです。
郷村記には、「この矯(古松橋)の前後古松の宿にて、商家二十一軒端を列ねて相対す」とあり、当時の賑わいを伝えています。古老の話では、今の神社の駐車湯の所に建っていた家に、殿様が休憩していたそうです。その家は入ロから裏手へ抜けられる広い土間があり、商家の特徴的な造りで、殿様が休憩した座は一段高かったと伝えれらています。
また、神社から橋に向かって左手前の屋数地は、舟の形をしており上り屋数と言われました。その中には、造り酒屋もあったといわれています。
平成二十九年三月三十一日 柱みよい町づくり「チーム鈴田」 >
補足
(この原稿は準備中。しばらく、お待ちください)
(初回掲載日:2018年1月14日、第2次掲載日:1月16日、第3次掲載日:1月22日、第4次掲載日:1月 日、第5次掲載日: 月 日)