大村の史跡説明板・案内板シリーズ | 鈴田道意館跡(すずた どうい やかたあと) |
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史跡説明板写真周辺の説明
まず、(写真2)から参照願います。この写真の中央部に白い板のように見えている案内板があります。これが、今回紹介しています鈴田道意館跡(すずた どうい やかたあと)の史跡説明板です。(写真撮影:2019年4月15日) この場所は、高速道路(長崎自動車道)を走行する車の音以外、野鳥の鳴き声が聞こえるくらい静かで、日当たりの良い所です。なお、この(写真2)の手前側道路を右手前側(南側)方向へ、高速道路の側道を、ほぼ直線で約360m走行しますと、現在は町墓になっている所に、鈴田道意の墓があります。この墓碑は、大村市の指定史跡です。 次に、上側の(写真1)を参照願います。この画像は、『大村市の文化財』(大村市教育委員会、1990年3月31日発行)121ページに掲載されている鈴田道意館跡紹介の写真です。 ご参考までに、(写真1)の撮影地点は、上記の史跡説明板より手前側の道路を左側(北側)方向へ、約30m行った地点と思われます。今より、この1990年当時の写真が、土地や石垣などの形状が分かりやすいと思われます。なお、手前右下側に少し写っています道路は、今もほとんど変わっていません。 ただし、この土地形状が比較的分かりやすい写真でも、鈴田道意の館があった当時(つまり戦国時代)、例えば建物、さらには庭などの配置状況は、一定の想像はできますが、詳細は分かりにくいです。 また、史跡説明板に表示してある概略図を見ますと、鈴田道意が住んでいた頃の周辺部の道も残っているようです。ただし、今は、車が行き来する道路が、主でしょうから当時と使われ方は、違っているでしょう。 ・周辺の概略図について この項目、まず(写真3)を参照願います。この概略図は、(写真4)でもお分かりの通り、鈴田道意館跡(すずた どうい やかたあと)の史跡説明板の下部に図示されているものです。この史跡周辺が分かりやすいので、概略図の左側から順次説明していきます。 ・道意館跡(大屋敷)---ここに今回の史跡説明板も立っている。 ・籠り屋敷-----------護衛(ごえい)の侍(さむらい)がこもっていた所。 ・道さま-------------道意の供養のため石の祠(ほこら)を地元の人が文政年間に建立した。 ・囚人坂------------囚われた所(大屋敷)と小屋敷(同伴の侍の住居)を行き来した坂と思われる。 ・山屋敷-----------名称からして山側に別の屋敷があったのだろう。 ・道意の墓---------鈴田道意の墓があり、現在、大村市の指定史跡にもなっている。
史跡説明板の内容 |
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