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南側の弁天島から北側の臼島を写す
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日時:2012年10月30日13時00分〜15時30 分
場所:大村市杭出津1丁目、臼島、弁天島
参加:送り迎え(4名)は安田産業汽船、上陸しての調査は福重郷土史同好会=2名
(関係ページ:臼島)
主な調査場所:
1)臼島(特に狼煙場跡など)
2)弁天島と弁財天など
報告概要:
最初、臼島(約80m)頂上部を目指しました。事前に「”けもの道”しかない」と聞いていたのですが、迷うことなく登れました。以前、キャンプか何かできる施設があったのか、頂上部はそれまでの坂道連続に比べ、やや平坦な感じもしました。また、長年の風雨により壊れかけているトイレの設備もありました。
頂上部周辺(北側)に草木が繁茂していて充分確認はできなかったですが、ほぼ15m真四角(一部、下り斜面に石垣が1〜3段位ある)の平坦な場所がありました。さらに、その敷地内には電柱があり、その上から離発着する航空機に臼島(頂上)の高さを知らせる航空障害灯みたいなものがありました。
江戸時代に編纂された(大村)郷村記に、この頂上周辺に狼煙場があったとの主旨で書いてあります。今回、先に書いた通り、一部の石垣は見ました。しかし、これが狼煙場跡の石を利用して築かれたものか、はたまた全く違う近代的な例えばキャンプ用広場、あるいは電柱を立てるための広さを確保するためなどにあったのか、最終確認は出来ませんでした。あまりにも草木が、繁り過ぎて全体が確認できない状況です。
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北側の臼島から南側の弁天島を写す
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次に、臼島の南側にある弁天島(右側の写真参照)へ行きました。丁度、引き潮のため運動靴でも濡れずに海岸線を歩けました。島の北側先端部に階段が10段ほどあり、その上が弁財天の祀ってある所でした。
この階段を登った手前側には、石灯籠が2基あって「昭和33(1958)年建立」のものでした。その奥左側にも1基の石灯籠があり、その建立年は江戸時代の「文政三(1820)年建立」でした。
あと、この弁天島周辺の海岸線は、太古の昔から自然のままです。しかも、独特の形状あるいは自然の創り上げた造形美とも言うべき模様や岩肌で、しばし目を止めるものでした。
大村に今でも残っている他の自然の海岸線は、黒っぽい玄武岩系の石が多いですが、この弁天島周囲にある石は、砂岩系で、その薄い黄色系の明るさと縞模様(しまもよう)が、なかなか素晴らしいものでした。
上野の補足と感想:私は始めて臼島と弁天島に行きましたが、いずれも、これまで見た大村の島にないような見どころ充分の所ばかりでした。一時期を除けば、現在では手つかずの自然がそのまま残る場所とも言えます。今回の史跡調査詳細報告は、別途ページに掲載しようと考えています。最後になりましたが、福重郷土史同好会のために送り迎えして頂いた安田産業汽船の皆様、大変ありがとうございました。
関係ページ:臼島
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