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福重の名所旧跡や地形

馬込水源(草場町)
馬込水源(まごめすいげん) 場所:大村市 草場町
  大村市草場町にある馬込水源(まごめすいげん)は、福重郷土史同好会の調査によると、肥前国の時代頃より古代の道と駅跡ではないかと推定している場所です。古代の駅の名前は”新分駅”(にきた、にいきた)です。

 このことの詳細は『
大村の古代の道と駅』ページの「3)新分駅のあった所は、草場町の馬込」をご覧下さい。

左写真の石祠は馬込の水神様。
 この馬込水源は、主に3箇所からの水が合流しています。その1番目は上記写真左側上流から、2番目はその右上流からです。3番目は水神様の下付近から泉のように湧き出ています。地元の古老からお聞きしたところ、「どんな日照りの時でも、ここの水は枯れることはなかった」と言うことでした。

馬込水源と郡中学校の生徒さん
  たぶんに、この枯れない水は古代のずっと以前から郡岳(こおりだけ、826m、奈良時代頃は”太郎岳”とも呼ばれていた)とか鉢巻山(はちまきやま、333m)に降った雨が伏流水として、ここで湧き出していると想像されます。

 戦前から昭和30年代初頭(1955年頃)まで、ここには米を搗く(つく)水車もあり、かなり水量豊富な所でした。他の草場町(特に旧字の”馬込”周辺)には、これだけの水が確保できる場所はありません。

 古代の駅=馬込の”新分駅”は役人用に馬5頭が常時用意されていました。その馬を飼育するには大量の飼葉と水が必要でしたので、そこから推定して、この馬込水源付近が古代の駅のあった所と思われます。

 この馬込水源まわりは田畑で、遠望すると大村湾や西彼杵(にしそのぎ)半島も見える所です。また、この直ぐ下流には溶岩が流れた跡がはっきり分かる(通称:馬込川の)川床もあります。(この馬込溶岩流跡についての詳細は、ここからご覧下さい

 さらに、この馬込水源の東側の尾根沿いには古代の道があった所で、300メートルくらい下った道沿いには古代の道標であった”立石様”もあります。

(掲載日:2007年9月24日)


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