笠山の概要紹介
この笠山は、標高(273m)が低いためか、(大村)郷村記や現在の地図などには山名までは書いてないようです。名称の由来は、陣笠(注1)に似ているからでしょう。上記と右側写真でも分かる通り、「逆さ富士」とまではいきませんが、赤似田堤の水面に写る姿は、なかなか美しい山容です。
ただ、山の頂上付近には、小さな車庫か乗用車くらいの大きい石が、ゴロゴロしています。この笠山周辺には、市有林があるようで字(あざ)の書いてある木製の看板が沢山あります。また、西側には笠山林道があり、東側には高良谷牧場に登るコンクリート舗装道路もあります。
この山の西側方向へ直線で500m強の所に、(1983年に竣工した)重井田ダム(防災用ダム、アース式)があります。このアース式のダムには、大量の土が必要です。そのため、工事中には、笠山の中腹から土砂が運ばれて造られました。
(注1):陣笠=室町時代以後、陣中で主として足軽・雑兵(ぞうひょう)などが用いた笠。薄い鉄、または革で作り、漆を塗って、兜(かぶと)の代用としたもの。後世は外縁を反らせた塗り笠で、武士の外出に用いた。 (国語辞典の大辞泉より)
大村藩領絵図に描かれている笠山
江戸時代に作成された大村藩領絵図に、この笠山が描かれています。右側2番目の絵図を参照願います。絵図の中央部やや上側に、まるで三角形の先が丸くなった感じに山容を描き、名称も中腹部に笠山と書いてあるのが分かります。
標高的には、数メートルも変わらない笠山の右側(東側)にある花の尾辻(はなおのつじ)は、同じように描かれていません。現在は、上記2枚の写真通りの山容ですから、江戸時代は山林がなかったのか、理由は分かりませんが、絵図の通りに見えていたのでしょう。
あと、絵図下部右側に右から読んで「赤仁田(あかにた)」と書いてあります。これは、字(あざ)名=地名と思われます。この赤仁田や笠山の字は、この周辺では面積としては広い所です。
また、その文字のすぐ横(西側)には、、赤似田堤も紺色で描いてあります。笠山周辺で現在では、耕作されていない田畑もあります。しかし、この絵図には、田んぼなどが段々畑ながら広く描いてあり、当時は耕作地だったことも分かります。
笠山の緯度経度など
私が携帯型GPS計測器で笠山頂上の緯度経度を実測した結果は、下記の通りです。この山の頂上は、大きい石の上に簡単な数字や印がしてあるものでした。何か所かの石にマーキングしてありましたが、下記の緯度経度の場所が、頂上の石と思いました。下記の注意書き通り、若干の誤差はあらかじめ、ご容赦願います。
測定場所:笠山の頂上(273m) |
GPS実測値:北緯32度57分51.20秒 東経129度58分53.20秒 |
グーグルアース用数値:32°57'51.20"N,129°58'53.20"E |
地図検索用数値:325751.20 1295853.20 |
補足:GPS実測値について、場所によっては若干の誤差がある。そのため補正をしている場合もある。地図検索用数値の右側数字を国土地理のページでリンク先を開いて、さらに「経緯度による検索」ボタンをクリックしてページを開き、そのページ中央上部の窓に、入力すると目的の場所が表示される。グーグルアースは航空写真上に表示するため誤差が出るが、数値補正はしていない。(先の二つの事項は、あくまでも参考程度に、ご覧願いたい)
(初回掲載日:2013年6月23日、第2次掲載日:2013年6月26日、第3次掲載日:2013年6月27日) |