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1941年(福重村写真集)銃後の郷土

沖田郷の軍人家族


沖田郷の軍人家族

<補足説明>
(1)写真左側には、軍人家族沖田郷の文字があります。この軍人家族の名称について、補足説明は必要ないかもしれませんが、陸軍もしくは海軍として戦地に出征されている軍人の留守家族ということです。

(2)撮影場所は、沖田郷(町)に違いないですが、(2013年10月現在で)特定できませんでした。他の町内の同種写真は、そのほとんどが、その町の公会堂(現在の公民館のこと)の前、神社・権現の境内あるいは大きな民家の庭先で撮られたものばかりです。

 私の推測ながら上記写真後方にある二階建て(2棟)は、その大きさからして校舎のようにも見えます。現在の大村市立郡中学校(所在地は沖田町)は、戦前はありませんでした。ただ、当時その敷地内にあった各種学校だった可能性もあります。

(3)写真には合計40名の方が写っておられます。その内、9名が幼児と子どもさんで、最前列右端側には、女の子の愛犬も寝そべっているようです。

(4)人の列の右側に、沖田郷の幟(のぼり)が見えます。この幟には白抜き文字があり(上から順に)「(丸の中に)沖」、「(横文字で)福重村」、「沖田郷」が染めてあります。この形式は後で紹介予定の沖田踊の幟とも、ほぼ同じです。

 最後列のやや左側に白地の旗があります。これは、食糧増産奨励をすすめる旗で、福重村10町内に1旗づつ全てありました。

(5)服装ですが、女性は全て和服です。男性は国民服(注1)もしくは和服です。このような服装と緊張気味な表情は、やはり「記念写真を撮るから」だったかもしれません。
(注1):国民服とは、国民が常用すべきものとして昭和15年(1940)に制定され、第二次大戦中、広く男子が着用した軍服に似た衣服。(国語辞典の大辞泉より)

 (初回掲載日:2013年10月28日、第2次掲載日:2013年11月1日)


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