<補足説明>
(1)上側写真の左側には女子青年沖田郷、下側写真の右側には女子青年今富郷の文字があります。他の郷(町)は、「男女青年団・・郷」と書き、男女一緒に写っておられるのですが、この沖田郷(町)と今富郷(町)の場合、女子青年だけです。何かの理由かあったのか、どうか今となっては不明ですが、この二郷(町)の男子だけの写真はないようです。
(2)撮影場所について、色々調べてみたのですが、二か所とも後方部分に特徴がなくて、(2013年11月)現在、特定できていません。ただ、沖田郷の場合、青年集会所と呼ばれていた建物があったそうです。もしかしたら、その近くかもしれません。また、今富郷の場合、このような記念(集合)写真が撮られたのは、たいてい大神宮ばかりなので、その神社周辺の石垣がある場所かもしれません。
(3)写っておられる人数は、沖田郷の場合8名、今富郷の場合11名です。女子青年の数だけですから、そう差はないように思えます。しかし、今富郷全体の人数では、やはり当時の福重村においては、大きな郷(町)であったことの一端が分かる写真でもあります。
(4)上側写真右側には、薄く見えている幟(ノボリ)があります。これには、上部から小さな横文字で「福重村」、大きな縦文字で「沖田郷」という白抜き文字が裏返しで写っています。これは、たぶんに沖田郷(町内)ノボリでしょう。念のため、下側の今富郷の写真には、町内のノボリとか旗などはないようです。
(5)服装は、どちらの郷(町)も似たような和服です。当時の女子青年の記念写真用服装は、上記のような和服だったのが分かります。たぶんに、事前に打ち合わせもされて集合されたのでしょう。
(初回掲載日:2013年11月15日、第2次掲載日:2013年11月19日)
|