<補足説明>
(1)写真左側には、軍人家族壽古郷其の一の文字があります。(この当時、寿古町の「寿」は旧漢字の「壽」の方、また「其の一」は”その一”である) この写真は、寿古郷(町)から陸軍もしくは海軍として戦地に出征されている軍人の留守家族ということです。
ただ、この「軍人家族壽古郷其の一」写真の標題は、文字通り「其の一」(その一)ですが、他のページをめくっても「其の二」(その二)がありません。一枚だけの写真に通常は「其の一」とは付けませんので、多分に標題のミスではないかと思われます。
(2)撮影場所は、寿古郷(町)の公会堂(現在の名称では寿古公民館)の正面玄関前です。実は上記写真では、かすかにしか分かりませんが、玄関ガラス扉より50cm位上部に細長く白く見える部分に(右から左へ)壽古公會堂の文字があります。
あと、当時、このように軒が高くて、(全部)瓦屋根、ガス窓や玄関スペースのある公会堂(公民館)は、福重村内では少なく、しかも(見た目の推測ですが)建設されて、まだ十年も経っていないようです。
(3)写真には、合計44名の方が写っておられます。その内、13名が幼児と子どもさんのようです。女性の列(一部子ども達も)は、道路上にゴザを敷き、正座の姿勢です。
(4)服装は、男性の場合、国民服、背広や和服です。女性の場合、全員が和服です。子どもたちは、数人だけ学生服に似た服ですが、それ以外の幼児は和服姿ばかりで、中には着飾ったような子どもさんもおられるようです。
(5)現代では、大勢の集合写真になると、数人はカメラのレンズから目線をそらしたような人もいます。しかし、上記写真は、幼児・子どもたち含めて全員(44名)が、レンズの一点を見入るような、息の合った写真に仕上がっています。
それだけ、出征されている軍人へ、「私たち家族は、全員元気で郷土を守っているから安心して」みたいな思いがあったのかもしれません。
(初回掲載日:2013年11月23日、第2次掲載日:2013年11月24日)
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