まとめにかえて私の感想
先に掲載中の「はじめに」ページなどと繰り返しになりますが、この銃後の郷土(1941年、福重村写真集)の目的は、戦地に出征している福重村出身者の方に見せるために、慰問袋に入れたものです。
この写真集を戦地で見られたであろう兵隊達の感想や印象の正確なことは、戦後生まれの私にはできません。しかし、大切な家族の顔や懐かしい古里の山、風景、建物や行事などが写っている写真集を見て、しばし望郷の念に駆られたのではないかと想像はしました。
また、懐かしい古里の写真集を背嚢(はいのう。現代ならば登山用ザックみたいなもの)に入れて大事に持ち歩いても、福重村出身者を含む大村の連隊は、ビルマや中国での最前線や激戦の連続だったため、無事に復員(帰国)できた方は、少数だったと聞いています。そのため、出征経験者の中には「そんな郷土のアルバムなんか、あったのか。知らんかったなあ」と証言された人もいました。
私は、この写真集を見た時、即座に戦前の作成であるため、とにかく貴重であることは理解しました。ただ、歴史的記録写真として見るだけでいいのだろうかと自問自答も、ずっと今もしています。つまり、この写真集は、作成から既に73年経っている現代に何を問いかけているかという点です。
全く私個人の勝手な解釈が許されるならば、最優先して考えられる戦前の貴重な記録写真集という重要意義以外に、次のことが挙げられるのではないでしょうか。
その一つ目が、終戦を迎えた時、国民誰でもが不戦の誓いを立てたと学校で習いました。それは身近なことに言い換えれば、「もう二度と福重出身者を戦地へ兵隊として送らない」ということでもあります。つまり、73年前に写真集作成に携わった人ならば、「このような写真集を戦地に送るより、平和な世界や日本を築いて、違う写真集を作ってくれよ」と現代人に語っておられるのではないでしょうか。
その二つ目が、この写真集に写っておられる福重村の方々は、どなたでも、緊張した顔つきです。しかし、出征兵士へ元気な姿や顔を見せたいとの心優しい思いは、レンズ一点を見つめる目からも判断できます。また、そのような心が、例えば大正8(1919)年から今も続く福重地区敬老会、さらに、もう県内では珍しい(行政主催とは違う地域主催の成人式で)、しかも大村市よりも歴史が古い福重地区成人式などがあります。これらは、福重在住の人たちの心優しい思いが、戦前も現在も地域活動を支える原動力に繋がっていると思われます。
あと、現代は先の大戦時よりは平穏かもしれませんが、様々な諸問題も地域でもない訳ではありません。しかし、この写真集作成に協力された本当に多くの先人のまとまりの良さを、今後も色々な場面で発揮していけば、必ずや諸問題解決の光明は見えてくると、先人は現代人に語りかけておられるようにも思えます。
最後に、長期間に及ぶ新規掲載、改訂の繰り返しなりましたが、継続して閲覧された皆様、大変ありがとうございました。今後も新情報その他あれば改訂も考えていますので、どうか、よろしくお願い致します。
(掲載日:2014年5月10日)
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