福重にある橋
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福重にある橋
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立福寺橋(りゆくじばし)
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橋のデータ ・長さ:13.00m ・幅:3.00m ・市道名:段古川線 ・竣工年:1955(昭和33)年7月 (注:この橋は、長崎県大村市立福寺町と野田町に架かっているが、橋の区分整理上、立福寺町に入れた) 現在、この橋は立福寺町と野田町にの間に架かっています。名前の立福寺は、現在の立福寺町(以前の立福寺郷)の地には大村純忠時代の1574(天正2)年にキリシタンから破壊、焼き討ちに遭うまで、龍福寺(竜福寺)と言う大きな寺院があり、その名残です。 なお、立福寺は一般には「りふくじ」と呼称しますが、今回このページでは、橋の銘板に「りゆふくじばし」となっていましたので、平仮名表記は同様としました。右側の合成写真をご参照下さい。 あと、龍福寺の「龍」の名前で、もう一つ。現在この町には「立福寺龍踊」が伝承されています。地名の「龍」にちなんで始まった踊りと言われています。この龍踊りの起源は諸説ありますが、現存している銅鑼(ドラ)の刻銘には、『安政六年七月吉日 今留村龍福寺』とあります。(安政6年は1859年で「今留村(今富村)」は福重村との合併前の名称でした) この橋の下を流れているのが佐奈河内川です。佐奈河内川(さながわちがわ)は、郡川の支流で長さ2.924kmあります。水源は重井田町の郡岳に発し、重井田町、野田町、立福寺町の境と今富町を流れ、郡川本流と合流します。なお、川の語源となったと思われる字「佐奈河内(佐奈川内)」が、この橋の上流側(立福寺町内)にあります。 この橋は1955(昭和33)年竣工なので、私の子供頃のかすかな記憶ながら、これ以前は木造の橋だったと思います。現在の鉄筋コンクリート製の架橋工事中も少し見た覚えがあります。また、この橋の下は、近所の子どもたちの川遊びやプール替わりの場所でもありました。 この橋のたもとと言うべき所(野田町側)には、大村市消防団第11分団立福寺分駐所(右の写真参照)があります。消防団員の方が交代で詰められたり、訓練されたりと地域の防火や安全に寄与されています。 |
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(掲載日:2007年1月10日) |
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