<補足説明>
あくまでも上野調べの範囲内ですが、この中岳の馬頭観音は、建立年月日の判明している市内の馬頭観音では、最古級に近いものと推測されます。右側写真は、蓮華座下部(土台部分)の碑文だけを青色にCG加工したものです。
ここに彫られている文字は、上記データ表にも書いていますが、寛保三年癸亥 奉建立 馬頭観世音 六月吉日と彫ってあり、現代語訳では「馬頭観音を奉って建立する。寛保三年癸亥(みずのとい、きがい)=西暦1743年)6月吉日」と解釈できます。なお、念のため最下部の文字は、写真に写っていません。そのため、推測の文字含めて上記には書いています。
クッキリと浮かび上がった像
本像は、上記写真でもお分かりの通り、レリーフ面、特に頭部と胡坐(あぐら)している部分がクッキリ浮き上がった形をして、しかも大変柔らかい仕上がり状況です。蓮華座の形も、どれも良くて大きい造りです。一言でいうなら、「全体素晴らしい出来栄え」と表現できます。
萱瀬の石は、本経寺にある大村家歴代の大きな墓碑などにも見られる、市内では昔から多用されてきた石材です。だからと言って、この中岳の馬頭観音の石材も、萱瀬の石だと特定は当然できません。しかし、いずれにしても大村周辺産出の石材で、江戸時代の建立当時に、これほどまでに姿形の良い彫刻技術を持った石工の腕は見上げたものといえるのではないでしょうか。
あと、この馬頭観音のある場所は、中岳町にある山上神社境内にあります。つまり、中岳集落の中心地です。ただ、全国一般には、「馬頭観音は町や村(集落)の外れで、道路脇に建立された例が多い」と言われています。その意味からして、当初からここにあったのか、どうか今後聞き取り調査もしてみたいと考えています。
(初回掲載日:2014年4月19日、第二次掲載日:6月24日 )
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