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大村の馬頭観音

重井田の馬頭観音
重井田の馬頭観音

重井田の馬頭観音のデータ

 (1)石仏名称 重井田の馬頭観音(しげいだ の ばとうかんのん)
 (2)所在地 大村市重井田町(個人所有地の山林)
 (3)本体の大きさ 高さ65cm、横幅26cm、胴囲90cm
 (4)土台の大きさ 目測で約1.5m四方の石垣が下部にある。
石垣の下部に横幅約5m、高さ約1.5mの大きな石がある。
 (5)制作年代 1817(文化14)年11月
建立者:山道源次兵衛
 (6)主な特徴  文字塔
 (7)特徴点の補足  馬頭観音の文字塔は福重地区では、これのみ。
 (8)感想、その他  長年、個人が祀っておおられる。

 石祠の奥にある碑文:(次の太文字) 馬頭観音

 ・(大村)郷村記と、その現代語訳:下段の項目に書いている。:

左側写真説明:これは石祠のみで、奥側に上記の碑文が見えている(拓本作業中)。 石祠の左右に石造りの花瓶がある。写真右側のみに太陽光線が当たり白色になっている

大きな自然石と石垣の上にある石祠=重井田の馬頭観音
石祠内部(奥側)の碑文=馬頭観音(拓本作業中の写真) 
(大村)郷村記の記述
 上記のデータ表でも、お分かりの通り、石祠などに建立年の碑文は、ないようです。しかし、江戸時代の大村藩が作成した(大村)郷村記には、次の「」内の太文字の記述がしてあります。この原文は、漢字の縦書きです。ここでは、ホームページ用に横書きに直して、改行など一部分も変えています。なお、引用や参照される場合は、必ず原文からお願いします。

 「 同所
  一 馬頭観音 神体無  例祭十月廿九日、妙宣寺働請 山道茂助一手祭
    石祠
    右文化十四丁丑年十一月、茂助父源次兵衛依心願建立
 」

・現代語訳
 上記の(大村)郷村記の現代語訳と、一部補足含めて次の<>内に青文字で書いています。また、一部の行を除き、改行せずに書いています。なお、素人の上野が書いた内容なので、あくまでも参考程度に閲覧願います。

  同所(重井田郷のこと)
 一つ 馬頭観音 神体(仏像)はなし。
(注1)  例祭は(毎年)10月29日に妙宣寺に来てもらって、山道茂助がが一人で祭っている。
 石祠は文化14年(1817)ひのとうし10月に茂助の父・(山道)源次兵衛が神仏に心から願って建立した。 


 (注1)この「神体(仏像)はなし」という意味は、石祠の中(奥の壁)には「馬頭観音」と彫られた碑文(文字塔)があるため、あくまでも「仏像形式のご神体がない」ということであろう。(上から3番目の石祠内部の写真参照)

<補足>


  (この項目は、準備中。しばらく、お待ちください)


(初回掲載日:2021年2月18日、第二次掲載日:3月11日、第三次掲載日:3月15日、第四次掲載日: 月 日 )
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