(1) 正面上部(右側の写真を参照)
用水路工事竣工記念碑
昭和45年4月12日
補注A:上側の文字が一番大きい。これが記念碑の正式名称である。ただし、本ページでは頭に(野岳湖)を付けている。
補注B:下側の碑文は記念碑の建立年月日であろう。
西暦では1970年(昭和45)4月12日
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(2) 正面下部(左側写真を参照)
注:水利組合関係者(個人名)が彫られている。
<碑文内容は省略>
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(3) 裏面上部(右側写真を参照)
野岳大溜池ハ寛文元年三月深澤儀太夫ニヨッテ筑堤サレ、周囲四「キロ」 利用耕作面積百「ヘクタール」 貯水量百四十万「トン」ハコノ用水路ニヨリ 三百年ノ長キニ亘リ灌水サレテイタガ 近年漏水甚ダシク、毎年三月受益者二百余名ガ出夫シ 粘土ニテ補修セシモ其ノ効ナク 昭和四十年十月総会ニ於テ水路改修工事具体作ニツイテ検討シ 改修工事ヲ行ノウヨウ決定 昭和四十二年十月団体営土地改良事業トシテ着工 主要工事(用水路延長一,九一一米「コンクリート」三面張、落差工七ヶ所 分水工三ヶ所 水道四ヶ所)
施工 昭和四十五年三月完工 同年四月十二日竣工式ヲ挙行ス
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上記の裏面上部の碑文を口語訳すると、次の<>内の青文字通りと思われる。なお、碑文の主旨を変えない範囲内で上野の方で補足、句読点や段落などもしている。そのため、あくまでも参考程度に閲覧願いたい。もしも、引用される方は、必ず記念碑の碑文(原文)から願いたい。
<野岳大ため池(野岳湖)は、寛文3年(1663)、(初代の)深澤儀太夫(勝清)によって造られた。(築堤とは堤防を築くことである。つまり溜池を造ることと同じ意味あり) (その)周囲は4キロメートル、(この溜池から水が供給されている)耕作地の面積は100ヘクタールである。貯水量の140万トンは、この用水路により300年の長きにわたり灌漑(かんがい)されてきたが、近年、漏水(ろうすい)が甚だしく(多く)なってきた。
毎年3月、(水の供給を受ける)受益者200名余りが、出夫(作業)して粘土にて補修(工事)をしてきたが、その効果が無い(状況である)。(そのため)昭和40年(1965)10月の(水利組合の)総会において工事の具体策について検討し、改修工事をおこなうように決定した。
昭和43年(1968)10月、団体営土地改良事業として(工事を)着工した。(その)主な工事<用水路の長さ1,911メートルのコンクリート製の三面張り(両側面と下部面の3面)。落差(段差)のある所は7ヶ所、水を分ける所が3ヶ所、水道4ヶ所)>を施行した。(その改修工事は)昭和45年(1070)3月に完成した。(そして)同年4月12日に竣工式を挙行(開催)した。>
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(4) 土台石の右側面(左側写真上部を参照)
注:左側写真通り、実物の碑文は縦書きで、費用項目と金額が2行で彫られている。このページでは、ホームページ上、見やすくするため全て横書きに直し、改行も変え、また、1項目1行で書いている。ただし、漢数字は、そのまま表示している。
改修工事費
総事業費 一一〇三五千円
調達内訳
国市補助金 六〇七万円
公庫借入金 三八九万円
地元負担金 一〇七五千円 |