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(写真1) (江戸時代、2基の工事記念碑) 右側:寛保二年(1742)の工事記念碑
<野岳湖、堤防の北西側にある。2017年5月15日撮影> |
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(写真2) (現在)野岳湖の洪水吐(こうずいばき)
<野岳湖、堤防の北西側にある。2017年5月17日撮影> |
概要紹介
長崎県大村市東野岳町にある野岳湖(野岳大堤、野岳大ため池)の堤体(ていたい、堤防のこと)の北西側に自然石に彫られた江戸時代の2基の工事記念碑があります。この記念碑は、2基とも木井樋(きいび=木製の堰き止め板)の工事完了時に建立されたものです。
このページでは、その内、寛保二年(1742)の工事記念碑を紹介します。(写真1)では、右側で自然石の高い方です。この石の正面に、工事の開始日、完了日、内容、さらには工事関係者の氏名などの碑文が彫ってあります。
その碑文は、目視でも少し見えていますが、拓本作業後に文字解読もしましたので、詳細は後の項目で紹介します。
木井樋(きいび)と洪水吐(こうずいばき)について
まずは、(写真2)を参照願います。これは、現在の野岳湖、堤体(ていたい、堤防のこと)の北西側にある洪水吐(こうずいばき、注1参照)です。当然、現代の工事ですからコンクリート製です。元は、別の場所に設置されていたそうです。
注1:洪水吐(こうずいばき)とは、洪水の流入に対し、ダムと貯水池の安全を確保するために設けられた放流設備の総称。(「ダム協会」の「ダム辞典」より)
近代または現代のいつの時代から、コンクリート製に変わったのか年代不明ながら、この所に今回紹介しています木井樋(きいび=木製)があったと思われます。そして、木製がゆえに何十年か経てば腐ったり、痛んだりするので、建て替えが必要でした。
そして、その工事は、かなりの費用と日数のかかる大工事でした。そのため、寄付者や工事関係者の功績を讃え、後世に残すために本記念碑を建立したものと推測されます。
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